2011-09-11
ジョン・ディクスン・カー「火刑法廷〔新訳版〕」
これも大昔に旧訳で読んでいた作品です。正直、カーの作品で訳を改めて欲しいものは、もっと他にあるとは思いますが。
二階にある部屋から存在しない扉を通って出て行った殺人者、コンクリートで固められた霊廟から消えうせた遺体と、不可能興味は申し分ありません。そして、名探偵役が不在のためか怪奇趣味がいつにもまして強調されています。
黄金期におけるカーの作品らしく投入されているアイディアの量は豊富であり、なおかつ状況も複雑なのですが、この作品に限ってはそれらが指し示している方向がある程度揃っているために整理が良く、飲み込み易いのが美点でしょうか。フェル博士やヘンリー・メリヴェール卿なら、話があからさま過ぎてかえって胡散臭い、とか言いそうであります。そうしたカー独特のジャンルに対するメタな視点が、今作では特異な形で示されているということかな。
それにしても、いつものコミックリリーフを排してみると、かなり迫力のあるものになるのですね。持続するサスペンスといい、この作家の筆力を再認識しました。
ミステリとしては世評に違わぬ出来で、今さらどうこう言う事もないですか。再読してもその印象は変わりませんでした。脂の乗った時期のディクスン・カー、その狙いがずばり嵌った作品です。
(なお、腰巻には「従来は割愛されていた原著者による注釈も復活させた『完全版』」と書かれていますが、あまり期待はされぬように)
2011-09-08
Stackridge / Friendliness
スタックリッジのセカンドアルバム、1972年作。
ファースト制作の際に経費がかかりすぎたため、このアルバムは低予算を強いられたそうなのだけれど、全然こじんまりとした感じはないですね。
アレンジがこなれてきたこともあってか、音楽的な表現の幅はさらに広がっているにもかかわらず、全体としてのまとまりはファーストより良くなっている印象。本当、このフィドルやフルートはどんなタイプの曲にも合うんじゃないか、とすら思えます。
さらにサウンド面では、ドラムがタイトで迫力あるものになっていて。バンドのテーマ曲のような英国フォークインスト "Lummy Days" での重量感や、長尺ナンバー "Syracuse The Elephant" で聴ける雷鳴のようなフィルインなどに顕著なのだけれど、複雑な要素・構成をもつ曲でも頭でっかちにならず、スケール感と肉体性が感じられる演奏。
一方で、いかにも英国王道というポップソングにも磨きがかかり、特にバンドのメロウな面を引き受けているジェームス・ウォーレンの持ち味はこの時点で既に完成しているのではないかしら。ファルセットを使ったハーモニーはビートルズの「Abbey Road」B面を思わせる麗しさだし、"Amazingly Agnes" という曲では、時代を考えるとかなりしっかりとレゲエに取り組んでいるのに仕上がりはモダンポップという懐の深さで。
このバンドらしい奥行きと、ちょっと捻ったポップセンスのバランスが凄くいい。個人的にも彼らのアルバムではこれが一番好きかな。
2011-09-03
エラリー・クイーン「ローマ帽子の謎」
エラリー・クイーン、1929年発表のデビュー作が新訳で出ました。
僕はクイーンの長編は全て読んでいるのだけれど、特に国名シリーズとドルリー・レーン物四作は何度も読み返しているので、内容は大体わかっています。が、翻訳が新たになればまた手を出してしまいますな。でもって「うーん、やっぱりいいな」とか独りごちるわけです。それがファンというものですから。
また、飯城勇三氏の労作『エラリー・クイーン・パーフェクト・ガイド』でも「基本的に『訳は古くて読みにくいが誤訳の少ない創元』、『訳は新しくて読みやすいが誤訳の多い早川』と言えます」と述べられていて、つまりは訳を新たにする余地はあるわけです、ええ。
『ローマ帽子の謎』は先行者であるヴァン・ダインを意識しながらも、推理の密度においては違うレベルを示した作品、ということであります。ただ、物語としては最初にひとつ事件が起こって、後は尋問・調査と推理がずっと繰り返されるというものであり、更には警察の捜査過程が結構、念入りに描写されているので、現在の読者からすれば展開がまどろっこしいかもしれません。けれど、この作品が発表された時代には、このオーソドックスさこそが力あるスタイルだったのだ、と思えるだけの熱意が文章から伝わってきますし、いきいきとしたクイーン警視の活動が存分に読めるのはファンにとっては愉しいものなのですよ。
ミステリとしては初期クイーンによく見られる、多数にのぼる容疑者に対して手掛かりが非常に少ないという設定であり、そこを極めてシンプルな推理でもって犯人を絞り込んでいく手法も既に確立されています(余詰めの消去にやや粗い点が残りますが)。
また、犯行現場にあるものではなく、無いものが鍵となるという趣向は、クイーンならではのテイストが充分に感じられるものです。
旧創元の井上訳よりストレスなく、面白く読めました。次作『フランス白粉の謎』は来年刊行予定だそうで。うむ。
しかしヴァン・ダインの新訳全集はどうなったのだろう・・・。
2011-08-27
Rockpile / Live At Montreux 1980
ロックパイルが1980年7月12日に出演した、モントルー・ジャズ・フェスティバルでのライヴ盤がリリースされましたよ。
このCD、音質そのものには文句無いのだけれど、楽器の数の割には分離はそれほど良くなくて、ニック・ロウのボーカルがやや聞こえにくいところも。推測するに、保管されていた放送用音源とかが元になっているのでは。マルチトラックがあって新たにそこからミックスしたものではないだろう。
とはいえ、ライヴらしく音が一丸となって出てくる迫力や臨場感なら充分であります。
ここでの彼らは前乗りのビートに乗って、ドライで骨太、パワフルな演奏で押し捲っています。スタジオ録音での緩急が効いて軽快なイメージとはちょっと違うな。本当、小細工が無い。
選曲はデイヴ・エドマンズとニック・ロウ、それぞれのソロでのレパートリーが多くを占めていて、ロックパイル名義での唯一のアルバム「Seconds Of Pleasure」からは二曲のみ。実質的にそういうバンドであったんだろうけど。
でも、当時のアメリカツアーでは大会場でドッカンドッカン受けていたらしいので、これで問題無かったのでしょう。パブロック的なものがまかり間違って、とんでもなくでかいスケール感を持ちそうになった瞬間が捉えられています。
カバーもオリジナルも区別なく、ひたすらご機嫌なロックンロールで盛り上がれ。クールダウンの必要はないし、スローな曲なんて退屈だろ?
繰り返して聴いて思ったのは、ライヴにおけるロックパイルはデイヴ・エドマンズのバンドだったか、ということでした。
2011-08-24
Bradford / Shouting Quietly
英国のインディーギターバンド、ブラッドフォードが実質的に唯一残したアルバム。1990年リリース。
ザ・スミスも手がけていたスティーヴン・ストリートがプロデュースを担当していて、サウンドは非常に端整なネオアコといえましょうか。ただ、あまり特徴がないのも事実で、ちょっと型にはまりすぎた感。オカズを殆ど入れないドラムを聴いていると、ドンカマに合わせてリズムキープに専念させられているような画が浮かんでしまうな。効果的に入れられているキーボードからは、もしかしたらこのバンドの良さはネオアコ的なものとは別なところにあったのかも、ということも考えられます。
ある海外のフォーラムでは彼らを評して「nothing bad, nothing special」と書かれていて。まあ、確かにそうなんだよね。だからアルバム一枚で消えちゃったわけだし。
けれど、しみじみ良いメロディが多いんだな。ちょっと泣きが入っていて。'90年前後の新人のアルバムでこれだけ曲の粒の揃ったものはそう無かったのでは、とは思う。
ボーカルはエルヴィス・コステロ系というか、スミザリーンズのパット・ディニジオなんかとも共通するような節回しなんだけれど、それほど思い入れはしつこくなくて。軽快なバックに対して、ちょうどいいさじ加減、という気はします。
歴史に名を残す、そんな大層なものではないですが。逆にそれほど大上段に構えていない親しみやすさが美点で、とてもまっすぐなギターポップ。
全編にうたごごろが響く、個人的に忘れがたい一枚であります。
「To have and hurt you, the mood is black, my mind is blue」とか、なんてことはないフレーズがいいな。
2011-08-19
P・G・ウッドハウス「ジーヴズの事件簿 才智縦横の巻」
事件簿、というタイトルだとミステリのようでありますが、ユーモア短編集ですな。
1910~20年代の英国が舞台で、有閑階級の暢気な若者バーティと、それを陰からうまく操縦する従僕ジーヴズの物語。
英国ユーモアといっても基本的にドタバタですし、凄くわかりやすいものばかりであります。
収録作品には似たようなパターンがあって。バーティにはやたら女性に惚れ易い友人や、バーティを結婚させようとする叔母がいて、彼らのせいで厄介ごとが降りかかってきます。ところが、バーディは悪い人間ではないけれど思慮が浅く、実際的な問題にはまるで役に立たない。そこで、ジーヴズが自分はあまり目立たないように立ち回りながら、うまく手を打ってそれを解決する、というもの。紳士階級のドラえもんとのび太みたいな。
出てくるやつがみなバカというか好き勝手、自分の思い通りにやろうとしてトラブルを起こすのだけれど、時にはバーディが従僕ごときにまかせずに自分で解決しようとして、さらに問題をややこしくする場合も。
完璧な従僕、ジーヴズは常に最小の手間で最大の効率を上げますが、それが作品の意外性やスマートな読後感にも繋がっていますね。時折、腹黒さがちらりと見えることもあって、マキャベリズムという言葉を思い出させたり。
作品内の空気はさすがに100年近く前のものなので、長閑です。背景描写はあっさりでとんとんと筋が進むので、舞台劇のような感覚を覚えました。サブキャラクターはみな典型といっていいものではあるし、さながらウェルメイドプレイの趣。
気楽にするすると読んでしまえるので消夏には良い一冊では。
2011-08-17
アガサ・クリスティー「牧師館の殺人」
「誰かがプロザロー大佐を殺してくれたら、社会にあまねく貢献することになるのに」
平和そのもののようなセント・メアリ・ミード村、その牧師館で殺人事件が起こる。被害者は誰からも疎まれているような人物であったが、現場には偽装の跡も。
クリスティの十作目にして、ジェーン・マープルが登場する最初の長編です。
非常に判り易い偽の手がかり、多すぎる動機。現場やその周辺の見取り図が添えられ、探偵小説の原型に立ち返ったようでもあります。アマチュアリズムの楽しさ、というものも感じられて。そこのところにエルキュール・ポアロという馴染みの探偵役がいながら、新たなキャラクターを創出した理由があるのかも。別のスタイルで試してみたいという。
はじめのうち、ミス・マープルは有用な目撃者あるいは助言役というところで、出番も限られていてあまり目立たない。扱われているのがシンプルなフーダニットということもあって、ちょっと読んでいても締まりがないかな。良くも悪くもオーソドックスなカントリーハウスものだなあ。
それが、解決編に入るとマープルは、ひとが変わったように堂々として名探偵役を演じるようになります。
その謎解きですが、膨大なパズルのピースが全てあるべきところに収まる様が圧巻ですし、被害者の残した手紙をめぐる分析は意外性があり、かつ明晰そのもので唸っちまいました。
ただ、全体にやや煩雑なのは否めないし、細部の説得力に欠けるきらいも。
うーんと、設定がこなれていないかな、という印象です。犯罪計画の複雑さが作品世界にいまいち合っていないのでは。
これをシリーズものの第一作として読むか、(長い後になって続きが書かれるものの)単発作品と見るかでまた違ってくるかも。
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