2012-11-11

アガサ・クリスティー「ひらいたトランプ」


紳士然としていながら、どこか悪魔めいた風貌のシャイタナ氏はエルキュール・ポアロに、自分は本物の殺人犯――罪を犯しながら逮捕されていない――を蒐集しているのだ、とうそぶきます。シャイタナ氏の招きを受けてパーティに参加したポアロであるが、その席上でブリッジが行なわれている間に事件が。容疑者はたった四人、そのうち誰がやったのか、そして本当に彼らは過去に殺人を犯してきたのだろうか?

1936年発表のポアロもので原題は "Cards on the Table"、作中では「手の札は開けて置く」と訳されており、手掛かりが公正明大であることを示しているのでしょうか。遊戯性が強く意識させられるタイトルです。
容疑者以外の登場人物には非ポアロものの作品『チムニーズ館の秘密』『七つの時計』で活躍したバトル警視、『茶色の服の男』からレイス大佐、パーカー・パインものにちょこっと顔を出していたオリヴァ夫人なども。ファンサーヴィスなんでしょうか、なんだか豪華な雰囲気でありますし、意外な犯人の可能性をあえて排除する狙いもあるのかな。

ミステリとしては物証が何もなく、機会は容疑者すべてにあるというかなり難しい設定であり、その分、人間心理に大きく頼った推理となっています。それでいてある程度納得させられてしまうのは大したものなのだが、ここは好みが分かれるところかも。
それより、強力なミスリードもあいまった、一転・二転する展開が見所で。非常に制約の多い条件下ですら、意外性を演出するその手際はお見事。

その他、序文からしてちょっとしたアイディアが隠されているし、コンセプトがはっきりと見えるのも面白い。アントニィ・バークリイを意識したような異色作ですね。

2012-11-10

The Who / Live At Hull 1970


二年前に出された「Live At Leeds」の40周年盤、そこに含まれていたハル・シティ・ホールでのライヴが単体でリリースされましたよ、と。

簡単におさらいすると元々は1970年に、ザ・フーはライヴ盤を制作しようという意図のもとリーズ大学とハルでライヴを行なったのだけど、ピート・タウンゼントがその録音テープを聴いて、ハルの方はレコードには出来ないな、と判断してお蔵入りにしていたそうな。

このハルでのライヴ、最初の5曲はベースが全く録れていなかったため、その部分はリーズのライヴから引っこ抜いてペーストしたらしい。そう聞かされても違和感がなくて。はっきりと気付くのは "Young Man Blues" においてリーズでのボーカルがうっすらリークしていることくらい。あと、もしかしたら該当曲でのギターの音がわずかに細くなっているかもしれない。
また、Disc 2の "Tommy" のパートではまるまる20秒の欠落があって、そちらもリーズから補填されたらしいのだが、いやはや、恐ろしいものだ。自分が聴いているものがどれくらい弄られたものなのかがさっぱり判らないぞ。


肝心の演奏自体は、前日に行なわれたリーズでのものと比べても結構ラフでミスもありますな。けれど「Live At Leeds」はデラックスエディション化された際、ノイズリダクションやイコライジングの影響でなんだか綺麗になりすぎてしまった、という気がするのだな。その点、このハルでのライヴはより生々しい感触に仕上げられていて、現代的に優れた音と言えるかも。特にドラムに凄く迫力があって、個人的にはそれだけでもこちらに軍配を上げたい。

しかし、フーのライヴというのは独特ですな。これだけラウドで荒々しいにも拘わらず、ポップソングとしての骨格は断固として堅持されているというのは、他のバンドにはちょっと無いのことなのでは。

2012-11-04

長沢樹「夏服パースペクティヴ」


昨年の横溝正史賞受賞作者による二作目。副題には「樋口真由”消失”シリーズ 少女洋弓銃殺人事件」とありますが、探偵役が共通する前作『消失グラデーション』を読んでいなくても、内容は独立しているため問題はありません。

廃校を改造したスタジオ、そこで学生たちの手によってプロモーションビデオが制作され、さらにその経過を追ったドキュメンタリー風(?)映画が撮影される。そんな、リアルと芝居の境界線を意図的にぼやけさせた場所で起こる事件。
前作が終盤に近づくまでがなんだかありがちなお話であったのに対して、今回ははじめからかなり変な状況設定。監督はカメラを止めたように見せて、気を抜いたスタッフたちを実はこっそり撮影しているとか。さらに廃校にまつわる幽霊なんかも絡んできて、いかにも何か仕掛けていそう。
そんな中でいくつか起こる不可能/不可解な事件。そしてその背後には、もっと大きな謎の存在が暗示されていく。
さらに後半に至り、麻耶雄嵩を思わせるような怒涛の展開が。

トリック一発の驚きでは前作に譲りますが、大技・小技を複数絡め、ミステリらしい雰囲気が濃厚になっていて、読んでいる間の楽しさではこちらが勝っているかと。謎が解かれた先に、背後に隠れていた物語が浮かび上がる、という趣向も三津田信三ばりに決まっています。
ただ気になったのは、確かに辻褄は綺麗に合うのだけれど、これは読者にとっては推理の余地が少ないものでもあって。伏線の判りにくさ、といってもよいか。ふ~ん、そんな細かいことをよく拾い集めたね、的な感想を持ってしまったのだな。

というわけで、前作に引き続き留保は付けてしまいますが、面白かったことは確か。とりあえず次も読むと思います。

2012-11-03

有栖川有栖「江神二郎の洞察」


江神二郎シリーズ(もしくは学生アリスもの)、まさに待望の短編集。

有栖川有栖が英都大学に入学してから二年生になるまでを描いた九編、書き下ろしひとつを含むそれら収録作品の発表時期には二十数年のスパンがあるのですが、今回、一冊のものとしてまとめられるに際して全作品に修正・加筆がなされているようで、違和感はないですね。
果たして次がいつ出るのか、そう考えると何だか読むのが勿体無いようでもあって。一編ずつ間を置いて読んでいきましたが。

もうなんていうか、いいね!
いや、このシリーズに関してはあまり客観的な言葉は出てこないのだな。
それでもあえてなんか書いて見ると、

冒頭の「瑠璃荘事件」では生活に根ざしたところに盲点があったり。シリーズのファンなら最後のパラグラフに悶絶必至だし。
一筆書きのような「ハードロック・ラバーズ・オンリー」。
「やけた線路の上の死体」ではトリックより細部を詰めるロジックが鮮やか。
「桜川のオフィーリア」の明白すぎる真相、という趣向。
ケメルマンの有名短編の向こうを張った「四分間では短すぎる」「ミステリとは無為なもんや」を地でいく、遊び心満点の仕上がり。
肝試しの「開かずの間の怪」は馬鹿馬鹿しくも楽しいし。
「二十世紀的誘拐」はなんか作家アリスっぽい事件。
書き下ろしの「除夜を歩く」が一番、分量があるというのも嬉しい。内容も充分で、机上の空論の楽しみを堪能。また、江神部長のミステリ論はある意味、身も蓋も無いものなのだが、ジャンルに対する愛をびしびし感じさせるものだ。
最後の「蕩尽に関する一考察」はチェスタトンかな。

まあ、どれも良いんすよ。青春小説としての肉付けとミステリ部分の絡み方が凄く丁寧で。流したようなものがないです。

それにしても推理研メンバーたちが繰り広げるミステリ談義のなんと楽しげなことか。
限定された期間にのみ許された幸福な空間。なんだか切ない。

2012-11-02

Ray Terrace / Home Of Boogaloo


1968年リリースの、ニューヨーク出身のティンバレス奏者による、まろやかで楽しいブーガルー・アルバム。

演奏パーソネルのクレジットが無いのですが、基本的な編成はパーカッション、ベース、鍵盤に管が2本という割合シンプルなもの。その上に曲によってはヴォーカルが入ったり、インストではリード楽器がプラスされているといった程度なのだけど、ミックスが良いせいか物足りない感じはしないな。
アレンジを担当しているマーティ・シェラーは、モンゴ・サンタマリアやハーヴェイ・アヴァーン・ダズンも手がけていますが、それらと比べてもゆるめのサウンドです。

収録曲のうち、ヴォーカル/コーラスが乗ったものではポップなソウル色が強くなっていて、特にフランキー・ヴァリのヒット曲 "I Make A Fool Of Myself" は、原曲の洒落た味わいを残しつつも男性的な仕上がりが格好良い。フォー・シーズンズの持つラテン感覚を再確認させてくれる、これは良いカバー。
その他、"Listen To Me" はノーザンソウル風であるし、女性コーラスによる "You've Been Talking ´Bout Me Baby" は昭和歌謡を思わせる哀愁メロが悪くない。

一方でインスト曲のほうではラテン寄りのものが多いのですが、それらもコテコテのものではなくラウンジ仕様といったらいいか、クールでコンパクトな仕上がり。あまりラテンに馴染みがないひとでも取っ付きやすいのではないかな。

だらだらした休日の昼下がりなんかに良く合いそうな感じですな。

2012-10-27

エドモンド・ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」


日本独自に編まれた短編集で、純粋なSFに限らず、ファンタジーや奇妙な味風のものまであって、分かりやすいお話が並んでいます。

中心になっているアイディアには、後にさんざん手垢をつけられてしまうものが多いのは仕方がないところですが、シンプルな形で提出されたそれらはプリミティヴがゆえの迫力のあるもの。むしろ、プロット部分でのひねり方に今となっては予想が付く部分が多く、時代的な限界を感じるかな。
全体に、簡潔な描写で異世界のイメージを喚起する力が素晴らしく、情感部分での肉付けがしっかりされていることもあいまって、充分に読めるものになっているかと。

印象に残った作品をいくつか。

「向こうはどんなところだい?」 地球に帰還した火星探検隊員は、亡くなった同僚の遺族たちに会う約束をしてしまった。だが、本当のことを話せるだろうか?仲間たちは過酷な環境の下、まるで虫けらのように死んでいったのだ。
読んでいてどうしたって火星と戦場を重ねてしまう、苦く、とてもアメリカらしい小説だと思う。

「凶運の彗星」 彗星接近と、それによって引き起こされた地球での異変の描写が迫力があって良かった。ただ、その現象の背後にあった意図が明らかになった後の展開は窮屈かな。

「翼を持つ男」 突然変異を扱った一編。何ということはない話ではあるが、寓意にとらわれず、ただ数奇な運命を描いただけの物語は美しい。結末は、そうでなくっちゃねえ、という感じ。

「太陽の炎」 宇宙探査局を辞めて地球に戻ってきた男。水星で見た何が彼を絶望させたのか。
異世界の燃え上がるようなイメージが素晴らしい。それだけに理に落ちたような締め方がちょっと残念。

「夢見る者の世界」 ザールという異界に住むジョタン族の王子、カール・カン。豪胆で快活な彼の生活には奇妙な秘密があった。
いきなりの意外な展開による掴みがいい。活劇の迫力も充分だし、結末も決まった。個人的にはこの作品がベストかな。

2012-10-24

アガサ・クリスティー「メソポタミヤの殺人」


1936年発表のポアロ物長編。イラクの遺跡調査隊を舞台にした物語で、クリスティの旦那が考古学者であったことを反映しているとかなんとかはまあどうでもいいや。
ある看護婦によって書かれた手記、という体裁を取っていまして。
「汽車のなかではよく眠れず、汽車のなかではよく眠れない体質なので、嫌な夢を見た。」
妙な文章だが。素人が書いた、ということでこうなっているのでしょうか。

命の危険を訴えている美しい夫人、しかしそれは虚言ではないのか? 最初はじわじわと不安を掻き立てていくのね、と思っていると急に一撃、ここら辺のチェンジ・オブ・ペースの呼吸は流石。
現場の状況はクローズド・サークルのようであるし(建屋の見取り図も挿入されている)、外部犯であれば不可能犯罪になる。ポアロは例によって人間性の謎を追っていくのだが。

真相はよくあるトリックを抜けぬけと使いながら、盲点を突くものになっている。だが、ポアロ自身が言うように物証が無い上に、伏線も少ないためちょっとカタルシスに欠けるし、唐突な印象すらある。その他、犯罪計画に色々と無理なところも目に付いて。意外性は充分なだけに詰めの甘さが惜しい。

ミステリとして面白いところはあるんですが、展開がちとルーティンワークっぽいかな。
クリスティ版旅情ミステリと思って読むべきだったか。