2010-03-31

倉阪鬼一郎「三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人」

第三回世界バカミス☆アワード受賞作。
僕のぼんやりとした記憶では「バカミス」というと昔は、読者の裏を掻こうとする野心の余り、違うレベルに突き抜けてしまったような設定や大トリックを茶化すような意味で使われていたのだがな。宝島の「このミステリーがすごい」なんかでは、本格ミステリ作品について明らかに見下すような意図で「バカミス(笑)」や「しょせんバカミス」という風に書かれていて、あまりいい気はしなかった。
ところが、今では「バカ」というのが文脈によっては褒め言葉にもなるし、ううん、変わったものだ。

さて、『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』ですが、タイトル通りの連続密室殺人ものであります。
犯人は冒頭から割れています。だから密室にまつわるハウダニットということになるのだけど、謎は読者にとってのみ存在しており、作中人物にとっては何の不思議もない、という質のものです。文章を読んでいても、そこここに違和感があって如何にも何か仕掛けられている風。
で、物語の後半に差し掛かったところで、その大トリックが明かされるのですが、衝撃を受けましたね。力無い笑いがこみ上げるのを抑えることが出来ませんでした。
 ここまででも同じ作者の『四神金赤館銀青館不可能殺人』に匹敵するのですが。

バカミスとしての本領はその後から明らかになっていきます。
もう、これが凄い。小説全体に掛けられた仕掛け、その途轍もない技巧と労力たるや。そして、その仕掛けがミステリとしてのカタルシスには繋がらない、というのがまた素晴らしい。 まさに読者置いてけぼり。
本という媒体でしかありえないし、文庫化も不可能でしょう。
小説、って凄いぜ。

ところで、この本の巻末には作者の著訳書リストが載っており、◇は句集、☆はバカミス、▲は時代小説という印が付けられています。何気なく見てたのだけど『四重奏 Quartet』という作品はバカミスなのね。僕はシリアスな実験作として読んでいたのだが。あれがバカミスだとすると、北山猛邦のあの作品なんかもそうなるよなー、などと感じたり。

2010-03-29

アントニイ・バークリー「毒入りチョコレート事件」


言わずと知れた歴史的作品であります。
もちろん再読なのだけれど、昔は探偵役がロジャー・シェリンガムの作品で邦訳されている長編は他に無かったのです。バークリイ名義のもので他に読めたのは『トライアル&エラー』くらいで、だいぶ後になって『ピカデリーの殺人』が紹介されたわけで、これらはアンブローズ・チタウィックを探偵役にしたものでした。
そのせいか、最初に『毒入りチョコレート事件』を読んだときには、シェリンガムがいかにもな名探偵のカリカチュアで、控えめなチタウィック氏こそが真に優れた謎解き役であるという感想を持ったのですが、ロジャー・シェリンガムがシリーズ探偵であることが判っている現在になって読み返してみると、だいぶ違う印象を受けました。

この作品は、ロジャー・シェリンガムを含む「犯罪研究会」の6人のメンバーが、警察がお手上げになってしまった事件に対し、それぞれの推理を順番に披露していくというお話ですが、メンバー皆が同じ手がかりを基にして推理をしていくわけでなく、先に出された説は後から判明した事実によって覆されていく、という展開が繰り返されます。
この図式だけを見ると、他のシェリンガムものの作品とおんなじで、違うのはシェリンガムひとりで何度も推理をやり直すか、それを6人が交代で受け持つかってだけじゃんと思ってしまいそうですが、そこはうまくしたもの。メンバーそれぞれのキャラクターによって推理の手法を使い分けることで変化をつけ、ほぼディスカッションのみで進行される小説でありながら、全く単調さを感じるところがありません。
中には比較的緩い推理が披瀝される場面もありますが、そこらへんはユーモラスなやりとりでもって充分フォローされており、早い話が抜群に面白い、と。

また作中、推理作家が「技巧的な論証は、ほかの技巧的なものがすべてそうであるように、ただ選択の問題です。何を話し、何をいい残すかを心得ていさえすれば、どんなことでも好きなように、しかも充分に説得力をもって、論証できるものですよ」とうそぶき、複数の違った結論を続けざまに証明する場面がありますが、そこにバークリイの作風というのが凝縮されているように感じます。

それにしても、この作品におけるシェリンガムの推理は素晴らしいものではあります。状況をそれまでと全く違う方から見るやり方といい、些細な事実から一気に犯人を確定する際の迫力といい、堂々たる名探偵ぶりであります(それに対してチタウィック氏の推理は穴が無く手堅いのだけれど、飛躍に欠ける気がします。意外さは用意されていますが)。

再読なので犯人が判っている状態で読みましたが、それでも無類の面白さでありました。

2010-03-21

The Monkees / The Birds, The Bees & The Monkees

ライノ・ハンドメイドからモンキーズの5枚目のアルバム「The Birds, The Bees & The Monkees」(1968年)が3枚組ボックスになって出ました。 モンキーズの4枚目までのアルバムは通常のライノからステレオ+モノラルミックスの2枚組でリイシューされてきたのだけれど、今回はハンドメイドレーベルということで数量限定です。まあ、これまで出してきたリイシュー盤が期待されたほど売れなかったのだろうな。モンキーズファンというものの母数は相当に多いと思われるのだが、未発表曲やミックス違い、アウトテイクまで欲しいという層がそれほどないのだろう。ポップミュージックとは難しいものだな。

さて、今回のリリースはライノ・ハンドメイドだけあってマニアックなつくりです。ステレオ、モノとボーナスマテリアル合わせて88曲入りであって、全体の3分の2以上がレアトラックという仕様。また、音のほうは当然ながら良いです。特にステレオミックス。モノラルのほうはこれまでのリイシューのレベルからするとクリアさが少し落ちるんでは、という気がします(尤もこのアルバムについてはアナログのモノラル自体が結構レアらしいので、収録されただけでも喜ばしいことかも)。
パッケージも凝っていて、20cm弱のケースの表面は3D仕様になっています。中を開けてみると、大判のブックレットがあり、3枚のCDは紙ジャケットに収納。底のほうには当時の広告のレプリカのようなものが。あと、なぜか可愛いバッジもあって。

この 「The Birds, The Bees & The Monkees」というアルバムは裏ジャケットに "Produced by The Monkees" と書かれているように、先行してヒットしたシングル "Daydream Believer" を除くすべての曲をモンキーズ自身がプロデュースした作品であります。といっても、実際にはそれぞれのメンバーが自分の曲をスタジオミュージシャンを使って仕上げ、それを持ち寄ったものであって、グループとしての共同作業はあまり無かったようです。それゆえ、自分で曲を手掛けないミッキー・ドレンツは歌入れ以外ではやることがなく、スタジオを空ける期間も多かったとか。このボックスセットのブックレットには当時の写真が満載されているのだけど、それを見てもメンバーが揃って写っているものがごく僅かしかなく、レコーディング・アーティストでのモンキーズはこの時点でグループとしては機能しなくなっていたのかも知れません。
また、メンバーだけに任しておくとシングル切れそうなものができないだろう、てんでトミー・ボイス&ボビー・ハートが送り込まれて来ていくつか曲を制作しています(プロデューサーとしてはクレジットされていないですが)。

曲としてはデイヴィー・ジョーンズの甘くゴージャスなポップソングもいい出来ですが、今の目から見るとマイケル・ネスミスのカントリーポップが時代の先を行っていた感じですね。サイケ風の試みも実に意欲的。ボイス&ハートの曲はカッチリ出来過ぎて、逆にこのアルバムでは浮いてるような感じです。
また、レアトラックには当時に正規リリースされた曲と比べても遜色無いものも少なくなく、メンバーの創作意欲が充実していたことが伺えます。中でも、ピーター・トークが(モンキーズのオーディションに落ちた)スティーヴン・スティルスと二人だけで演ってるデモはちょっと異色です。

ライノにはなんとか「The Monkees Present」までリイシューしてもらいたいけれど、無理かなあ。
とりあえず「Head」はピカピカの反射ジャケットを再現していただきたいものです。

2010-03-05

エラリー・クイーン原案 飯城勇三編「ミステリの女王の冒険 ― 視聴者への挑戦」

「刑事コロンボ」のR・レヴィンソンとW・リンクのコンビが手掛けたテレビドラマ「エラリー・クイーン」、そのシナリオのうち未発表を含む5本を収録。
「エラリー・クイーン原案」とありますが、一作を除くとクイーン作品をそのまま元にしたものは無く、クイーンの作品世界を独自に再構築したものであって、読み物としてはパスティーシュとして受け取ればいいんじゃないかな。

もしかしたらクイーンの名前を利用した、お手軽な商売の本だったりしないかという不安はあったのですが、実際に読んでみるとこれは悪くないですね。面白かったです。
キャラクターがテレビ向けにアレンジされているようなところがありますが、ミステリとしてはかなりしっかりした仕上がり。手掛かりの出し方や謎解きの作法などがいかにもクイーンらしくて、作家陣は相当にクイーン作品を研究していたのではないでしょうか。
また、シナリオ後半には毎回「読者への挑戦」ならぬ「視聴者への挑戦」があるのも嬉しいところ。
放送された全エピソードについての解説もついており、労作です。

エラリー・クイーン本人の作品ではありませんが、個人的には後期クイーンの代作長編のうちの出来の落ちる作品よりも楽しめるんじゃ、と思います。以前出たラジオドラマ集が気に入った人なら、是非。

2010-02-28

カーター・ディクスン「一角獣の殺人」

1935年発表、だからカーに脂が乗っていた時期のヘンリー・メリヴェールものです。

舞台はフランス、外部から隔絶された古城。
そこに集まった人々の中には変装の名人である国際的な怪盗と、フランス警視庁が誇る名探偵、その二人ともが正体を隠して紛れ込んでいる。
そして起こる衆人監視下での殺人事件。死因は額の深い傷で、それは弾丸などでは出来えない、鋭い角で突かれたとしか思えないものであった。
伝説の一角獣による殺人か? そして、誰が怪盗で誰が探偵なのか?

探偵小説としてのそそる趣向を大量に盛り込んだ上に、いつものドタバタとサスペンス。
読んでいる間は本当に楽しい。山場の作り方とか、プレゼンテーションなど、流石にカー、といううまさ。
もっとも、マンネリズムの楽しさもあって、これはカーの作品をある程度の量は読んでいないと伝わらないかもしれない。
正直、相当無理があるお話なのだが、リアリズムなど堅物野郎にでも喰わせておけばいい。

フーダニットとしてのトリックは意表を突いた大胆なものであります。ただ、筋を複雑にした分、解決には無理がみられますが、それはいつものことか。
カーという作家は最終的に面白ければいいじゃない? というエンターテイメントの職人でもあって。現代の目から見て傑作とはとても言いかねますが、それはモノサシが違うのだな。
見よ、このストーリーテリングの冴えを。

なんかミステリを長年読んでいると、こういった古めかしい趣向が心地よくて。
完成度の高い作品や先鋭性を持ったミステリも良いんだけれど。
自分の帰るところ、心地よい場所というのは、結局ある時代にしか書かれえなかったものなのかな、という気がします、最近は、ね。

2010-02-21

ヘレン・マクロイ「殺す者と殺される者」

「図書館は自伝をフィクションとして分類すべきだ ― わたしはかねがねそう思っていた」
そんな書き出しで始まる一人称小説。いかにも信用できない語り手という感じではある。と言ってもこの主人公は虚偽を書いたり、重要なことをあえて書かなかったりするわけではない、誠実な語り手ではありますが。

主人公は転んで頭を強打し、意識を失ってしばらく入院する。その事故の後、それまでは自分の記憶の確かさには自信を持っていたのに、いくつかの場面でそれらが事実とは異なるという経験をします。また、見知らぬ人間から旧知の間柄のように話しかけられ困惑するなど、読んでいてあからさまなまでに違和感がある場面が散りばめられ、「もしかしてパラレルワールドもの?」なんて思ってしまった。
更に主人公の周辺で不可解な事件が続発し、ついには死人が。

ミステリとしてはとんでもない大技が使われているのだけれど、この作品は1957年のものであって、それ以降さまざまな作品で使用されてしまうネタであるため、ミステリを読みなれているならある程度見当が付くであろう。ただ、それまでに敷き詰められた伏線の量が半端なく、さまざまな疑問が一気に氷解していく迫力は素晴らしい。大ネタに向けて丁寧に仕込み・構築された世界は流石マクロイ、といったところ。
でもって、この最大の驚きが発覚するのは実は作品の3分の2くらいのところであって、これがクライマックスというわけではないのね。そこからも物語はまるで予期せぬツイストを経ていく。
そして、読み終わった瞬間には作品タイトルの意味が浮かび上がる趣向が絶品。

静かな文体の中で、本当にさりげない形で逆転が示されるのが、もうニクイったらありゃしない。かなり人工的な印象の小説ではあるけれども、それを補う情感も申し分ないでしょう。
やはりマクロイに外れなし、なのか?

2010-02-01

綾辻行人「Another」

既に色々なところで言われてるように、『Another』は綾辻行人の新たな代表作になるのかな。力作だけど、重くなっていない。

中学校を舞台にしたホラーで、死人はばたばたと出るものの、それほど怖くない。この作者らしい雰囲気重視のねっちりした描写は今回控えめで、(キャラ萌え要素も含みつつ)会話中心で淡々と進んでいく。そのせいか、700ページ弱の量をするすると読んでしまえた。

物語を駆動していくのは恐怖よりも謎への興味である。ホラー設定下に置けるミステリといえるのだが、SFミステリのような特別なルール下においての謎解き、というのともちょっと違う。人は次々に死んでいくのだけれど、それは事故死だったり病死であったりで原因はまちまち。大元になっているのが呪いや祟りと云った不気味な力や法則ではなく、よくわからないが何故か死人が出てしまう、という特異な設定である。さらには事件に関わった人々の記憶や記録がいつの間にか改竄されてしまうのだ。ルール自体がはっきりしない上に事実も不確定という、かなり特殊な状況におけるミステリであるから、関係者でありながら事件の謎を論理的に解く、というのが極めて困難である。

(読者にとっての)伏線やヒントはかなり大判振る舞いされているので、早めに真相にたどり着くひともいるかも知れない。僕もある程度までは読めたのだが、最後の最後にはしてやられた。この瞬間に物語全体が変質してしまう、といっていい鮮やかさ。あざといまでに読者の裏を掻く、この手口こそ綾辻の真骨頂ではある。判ってしまえばすごく構造がすっきりとしており、シンプルなのは美点だとは思う。

余りにぶっといボリュームに比すると読み応えがやや薄い、という感じはありますが、青春小説的な爽やかさが救っているんではないかと。
事件がすべて終わった後、よく考えたら問題は何も解決していない、というのもアレですが。青春とはそんなものか。