2012-12-16

レイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」


二年ぶりとなる村上春樹訳チャンドラー、その第四弾。我が国では双葉十三郎が訳した東京創元社版で長らく親しまれてきた作品だけれど、この本も「翻訳権独占 早川書房」と腰巻には書かれていて、どうもチャンドラーの作品の版権はすべて早川に移行したようであるね。数年前にこの作品は田口俊樹が訳し直した、それが創元から新たに出る、という話があったそうなのだけれど。

『大いなる眠り』は長編第一作だ。スタイルは既に完成されているのだけれど、後年のものと比較するとフィリップ・マーロウは若々しい。やたらと感傷にひたることもないし、比喩もぶっきらぼうだ。脇筋も控えめ、引き締まった文章はこの作品ならではであって、チャンドラー長編の中では一番ハードボイルド小説らしい。
筋を説明する必要があるだろうか? 特に珍しいところはない、金持ちの依頼人が身内の持ち込んだトラブルに片を付けるために探偵を雇う、いつもそんなお話だ。

チャンドラーが偉大な先達・ハメットから受け継いだことのひとつは、読者に先読みさせない展開だろう。いや実際、なぜこんな風に話が繋がるのだろう、と不思議に思う。
そして、マーロウが情報を売り込まれた後に考える、こんなくだりがある。
「話はいささか整いすぎていた。そこに見受けられるのは複雑に織り込まれた事実の模様ではなく、そぎ落とされたフィクションの単純さだった」
あるいは、その一見した脈絡の無さと、偶然もしくは運命的なタイミングに支配された展開こそが彼にとっての現実らしさなのだろうか。

この作品は十年以上読み返していなかったのだけれど、マーロウが依頼人と温室内で会う場面は良く覚えていたな。

2012-12-09

デュレンマット「失脚/巫女の死」


スイスの劇作家、フリードリヒ・デュレンマットの中短編集。採られている作品はいずれもエンターテイメントとして読めるものばかりであります。300ページちょっとで千円越え、と文庫本にしてはちと値が張るのだけれど。

「トンネル」はオーソドックスな不条理ものですが、まあ、でぶのドタバタ劇です。心理に深く踏み込まず、淡々とした描写によって生み出されるそこはかとないユーモアもいい。軽々しく「ここではないどこか」とか言ってるやつらは皆、この列車に乗ればいいのだ。

「失脚」で描かれているのは独裁政治のグロテスクなカリカチュア。革命をめぐる奇妙な論理が展開するうちに、状況が一転していく。恐怖に支配された喜劇でもあって、笑いながら読みました。

「故障」はミステリの世界でもありそうな設定のものであるけれど、展開が読めるよな、と思っているとあれあれ・・・。チェスタトン的でもあるか。

最後の「巫女の死」は有名なギリシア悲劇を素材にして好き放題遊び倒した一編。死に瀕した巫女の前に「オイディプス王」の登場人物たちの幻が次々にあらわれ、真相は実はこうだったのだ、とそれぞれに違う告白をしていく。繰り返しギャグでもあるし、ミステリのパロディとしても読めるか。

少し理屈っぽいですが、初期の筒井康隆みたいなところもあって気に入りました。結末において物語世界の底が抜けるような感じで、寓意を探ろうとすればいくらでも掘れそうではありますが、まずはただただ面白く読むが吉かと。

2012-12-02

Tami Lynn / Love Is Here And Now You're Gone


タミー・リンというニューオーリンズ出身の女性シンガー、1965年にバート・バーンズ制作で "I'm Gonna Run Away From You" をリリースしていますが当時は話題にならず、その後はセッションシンガーとして活動していたそう。1971年にはジェリー・ウェクスラーから声が掛かり、マイアミのクライテリアスタジオにおいてウェクスラー&ブラッド・シャピロの元でシングルを制作したものの、これもヒットには結びつかなかった。しかし同年、イギリスの所謂ノーザンソウルシーンで前述の "I'm Gonna Run Away From You" に火が付いたそうで。そのイギリスでのリイシューを企画したジョン・アビイというひとが、タミーをマラコスタジオに連れて行って作られたのが、「Love Is Here And Now You're Gone」(1972年)というアルバムです。

アナログA面にあたる前半はメドレーというか組曲風で。収録されている4曲は全てカバーなのだけれど、その間を語りが繋ぐことでひとつのストーリーが構成されているという具合。
頭から3曲は控えめな演奏による、カントリーを隠し味にしたようなしっとりしたスロウなのですが、丁寧で表情の細やかなボーカルがしっかりと嵌っています。中では、タイトルにもなっているスプリームスのヒット曲がメロディはそのままにぐっとテンポを落としたものになっていて。淡々とした演奏を背景にすることで、展開をはらんだメロディが一段と際立っているようで、気に入りました。
そして、スロウがずっと続いた最後にはキャッチーなミディアム "That's Understanding" が来るのだけど、これがそれまでの抑えに抑えた流れからの開放感もあって、ばっちり決まった。

対して、アルバム後半はポップで軽快なダンサーが中心になっていて、あっさりした唄い口は曲調に合っていると言えばそうなんだけど、ソウルのプロパーなファンにはもの足りなく感じられるかも。
ただ、最後にはマイアミ制作のシングル両面が続いていて、それらはタイトで都会的なテイストのサウンド。呼応するようにボーカルも力強く、これには満足。

軽量級ではあるけれど、南部らしい甘さを滲ませた佳品だと思います。やはりロマンティックな前半がしっかりと作られていて良いな。

2012-11-26

Roger Nichols And The Small Circle Of Friends / My Heart Is Home


ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ、5年ぶりとなる3枚目のアルバムがリリースされました。

前作「Full Circle」のジャケットは彼らの若い頃の写真があしらわれ、春を思わせるようなデザインでしたが、今回のものに写っているのは現在の姿であり、秋あたりを感じさせる色合いになっています。
そして、内容からもそれに呼応するような変化を感じます。「Full Circle」からは昔のイメージを手堅く守るような意図が見えたのに対し、今作はそういったものにとらわれず、レゲエっぽいアレンジやジャズコーラス風の曲まであって、コンテンポラリーな自由度が高くなっています。シンセの使い方も前作ではいかにも低予算ゆえ管弦の代用品という感じだったのが、今作ではもっと思い切って鳴らしていて、うまく嵌った場合にはコーギスにも通じるようなテイストが生まれているのが面白い。
ただ、そういったいろいろな試みをやってはいても奇を衒ったような感じがしない節度はいいですね。むしろ、アルバム全体としては前よりもぐっと落ち着いたものになったという印象を受けました。

勿論、芯となるうたは彼らならではの魅力を湛えたものなのです。これがあるからこそ変化することが可能だったのでしょう。
有名曲としては "We've Only Just Begun" が何と言っても目を引きます。親密な感じも好ましい仕上がりで。うんうん、改めて聴いても良い曲だわ。あと、ロジャー最初期の作品だという "Something From Paradise" は'60年代的なフックが効いていて楽しいですな。
書き下ろしの新曲も押し付けがましいところやわざとらしさのない、クラシックで美しいポップソングばかりで。いつものロジャニコ節が堪能できますよ。

若いリスナーにアピールするような要素は減退しました。もはや「ソフトロック」という呼称も似つかわしくないですが、これが現在の彼らを表わした音楽ということなのかも。
アーティストとともに歳を取ることを受け入れていこうか、そんな気にさせられる一枚です。

2012-11-25

R・A・ラファティ「昔には帰れない」


「”わたしがちょっと家をあけると、いつもこうなんだから”――どこかの母親が、食われたばかりの子供の下顎骨と頭頂骨を手にとって、そういったそうな」

当初の予定より少し遅れましたが、ちゃんと出ましたラファティの日本オリジナル短編集。
2部構成になっており、第1部には比較的シンプルな作品が集められています。書き出しにおいてアイディアがはっきりと提示されているし、ねじれた物語もまるでアメリカの田舎に昔から伝わる大らかなホラ話のように砕いて語られていて。エンターテイメントとしてよく出来ているものばかり。
なかでも気に入ったものをば。
「素顔のユリーマ」 頭からケツまで逆説に貫かれたような物語。子供のまま歳を取ってしまったような主人公は作者の自画像でもあるのだろうか。
「月の裏側」 何ということの無い日常の事件、それをSFとして語ってしまうセンス・オブ・ワンダー。
「ぴかぴかコインの湧きでる泉」 繰り返しの展開の末にくる宙ぶらりんの結末が巧みすぎ。
「昔には帰れない」 地上に浮かぶ小さな月、のイメージだけで既にとても魅力的なのだが、そこに子供時代へのノスタルジーも絡まって、いや楽しい。

そして第2部。こちらは変な作品が多い。陽気でペシミスティック、そしてわけわからんがぐいぐい読まされる。これぞ比類なきラファティ。
こっちで印象的だったのは。
「忘れた偽足」 異星人の生態に異星人のユーモア。理解を越えるエピソードが次々と繰り出されるけど、どこか論理的な筋道も感じられる。そして終末のみに許されるハッピーエンドが良い。
「大河の千の岸辺」 分割され、圧縮・梱包された古代の岸辺そのもの、というイメージが素晴らしい。
「行間からはみだすものを読め」 すさまじい饒舌とあまりに不自然な設定に、もはや何が起こってもおかしくはないという気にさせられる。現実の崩れ方もまた、いとをかし。
「一八七三年のテレビドラマ」 偽の歴史を背景にした額縁小説。表の物語を裏側が侵食してしまう趣向はSFとしても胡散臭すぎるのだが、その出鱈目さがかえって楽しい。

退屈なものがひとつとしてない、純粋にSFを読む愉しみが詰まった短編集でありましたよ。

2012-11-24

Daughters of Albion / Daughters of Albion (eponymous title)


リオン・ラッセルがプロデュースを手がけた、西海岸の男女デュオによる唯一のアルバムで、リリースは1968年。英Now Soundsからのリイシューなんだけれど、正規のCD化としては初、と書かれていまして。以前、Falloutというところからも出ていましたが、そちらはブートということなんでしょうか。
ウィリアム・ブレイクの作品から取ったというグループ名やアングラ臭漂うジャケットに反して、内容はサイケデリックな味付けも華やかな、しっかりしたプロダクションのポップスです。

デュオのうち、女性ボーカルのキャシー・イエッセは癖がなくて伸びやかな美声で、ジェントル・ソウル期のパメラ・ポランドを思わせるところがあります。
一方で作曲をしている男性、グレッグ・デンプシーの方は唄はそんなに良くないのだけど、そもそもはスクリーン・ジェムズの契約ソングライターであったそうで、書く曲ははっきりしたメロディを持つものばかり。
演奏にはリオン・ラッセルの他、カール・レイドルやジェシ・エド・デイヴィスらが参加。アーシーなリズムセクションの上に美麗な管弦が絡む、ちょっと不思議な手触りのサウンドになっていて、リオン・ラッセルがハリウッドの腕利きセッションマン/アレンジャーとしての立場から、独立したアーティストへと踏み出そうとしていた微妙な時期であったことを反映しているよう。
アレンジにおいてはサージェントペパーに影響を受けたような凝りまくった展開が楽しいと言えばそうなのだけれど、やり過ぎて一聴しただけでは全体像が掴めない曲もあり。むしろ野心控えめの、比較的ストレートな曲調のものの方が良く出来たサンシャインポップとして聴けて好みですね。中でも "Good To Have You" という曲が抜群の出来で、ブライアン・ウィルソンが手がけたスプリングを思わせますよ。

なお、Now Soundsでは、これの前身グループであるガス・カンパニーの音源をまとめたものをリリースする予定もあるそうです。


2012-11-18

Gary Lewis & The Playboys / New Directions


ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズがキャリア後期に出した3枚のアルバムが、英BGOから3in2でCD化されました。

Disc1には1967年にリリースされた「(You Don't Have To) Paint Me A Picture」と「New Directions」の2枚のアルバムが収録。

まず「~Paint Me A Picture」はプロデュースにスナッフ・ギャレット、アレンジがリオン・ラッセルとお馴染みのチーム。
3曲のシングルヒットが収録されているのだけれど、個人的にはそのうち "Where Will The Word Come From" というのが大好きな一曲で。柔らかな管弦にコーラスも決まった、甘くジェントルなフラワーポップであります。ただ、それまでのシングルが全てトップテン入りしていたのに対して、ここでの3曲はそこまではいかず、そろそろ人気に陰りが見え始めた頃といえましょう。
その他の曲ではシングルB面であった "Tina" も良いのだけれど、この時期くらいまでの彼らのアルバムはシングル+埋め草、という感じのものが多くて。この「~Paint Me A Picture」でも有名曲・ヒット曲のイージーなカバーが多くを占めていて、それらはまあつまらないですね。"Barefootin'" や "Wild Thing" の出来ときたら腰抜け、という言葉が相応しい。

続いて出た「New Directions」、このアルバムが今回のリイシューにおける目玉でしょう。
ここではスナッフ・ギャレット=リオン・ラッセル組が外れ、ジャック・ニーチェ、ニック・デカロ、ハンク・レヴィンらによる制作となります。
収録曲のうち半分はアラン・ゴードン&ゲイリー・ボナーが書いたものなんだけれど、それがそのままアルバムの聴き所といえるのでは。いずれも洒落たセンスを感じさせる出来で、とりわけアルバム頭の "Girls In Love" "Double Good Feeling" とくる連打、及び最後を締める "Moonshine"、これらがダイナミズムと繊細さを兼ね備えたアレンジもあって素晴らしい仕上がり。
その他の曲でもラヴィン・スプーンフルを思わせる曲や、バーバンクサウンドと共通するような機知に富んだアレンジなど、聴いていて思わず頬が緩んできます。
全体として、それまでのゲイリー・ルイス&プレイボーイズの明るいイメージを残しつつも、ぐっと芳醇さを増したような印象で。穴埋め的な曲の無い、力の入った作品です。

Disc2はゲイリー・ルイスのソロ名義になる「Listen!」を挟んで1968年に出された「Now!」が収録。プロデュースにはスナッフ・ギャレットが呼び戻され、アレンジはアル・キャプス。
収録曲ではパレードがデモ録音を残している "How Can I Thank You" が目を引きますが、それよりもマイケル・Z・ゴードンの書いた "What Am I Gonna Do" がメランコリックで好みです。あと、ポール・レカの "Pretty Thing" も哀愁メロディと疾走感の対比が格好いい。
その他は殆どカバー曲ばかりなんだけれど、ここではそこそこ力の入った出来のものになっていて、中ではボブ・リンドの "Exclusive Butterfly" をメロウに仕上げたヴァージョンが気に入りました。