2015-05-09
Curtis Mayfield / Super Fly
久しぶりに聴いたら、やっぱり凄かった。カーティス・メイフィールド、ライヴ盤を除けば三枚目のソロ・アルバム、1972年のリリース。
カーティスの他のアルバムと違う点で一番大きいと思われるのは、これがコンセプト・アルバムだということ。勿論、そもそもはサウンドトラックなのだけど、映画の内容にカーティス自身の問題意識が触発されることで制作されたわけだ。ゆえに、カーティスの持つ音楽性の幅がある程度絞られ、全体を通じた統一感がとても高いものになっている。アタマからケツまで一切の弛みなく、スロウであっても同じように持続していくテンション。気を抜くところがないため、一枚通して聴いていると結構疲れる。
また、サウンドにおける管弦の比重がとても高いのだけれど、ジャジーなセンスが強く感じられるのも本作の特徴であって、これがドラマティックでシャープな手触りに結びついている。小編成コンボによる演奏の "Pusherman" を除いた全曲で冴え渡るアレンジはジョニー・ペイトの仕事だ。ゴージャスであるけれど、甘さに流れていないのが素晴らしく、インスト曲でも歌入りのものと同じ空気感を維持しているのも見逃せないところ。
ただ、二曲のインストはジョニー・ペイトによれば自分がメロディを書いたそうなのだが、盤にはカーティス作とクレジット。ジョニー・ペイトが自分の権利を主張したところ、逆にカーティス側から訴えられ、結果として長年の仕事仲間であった二人は袂を分かつことになってしまった。
カーティス・メイフィールドの作品のうちで、ソウル・ミュージックとして考えればもっといいのがあるかもしれないのだが、「Super Fly」にはそういったものを超えた勢いが宿っているように感じる。ポップチャートで二曲がトップテン入りしたことからも、時代としっかりリンクしていたと言えそうではあります。
2015-05-05
クリスチアナ・ブランド「猫とねずみ」
女性雑誌の記者、カティンカは休暇で故郷ウェールズに帰ったおりにふと思いついて、自分の雑誌に手紙をくれる読者であるアミスタを訪ねることにした。やっとのことで辿り着いたその屋敷は、村からは川で隔てられた山の中腹に孤立して建っていた。だが、そこに住む人々はアミスタなどという者は知らないという。一方で、何かが隠されているような気配もあったのだが・・・・・・。
1959年発表作、再読です。なんでもこの作品の続編が訳出されるということなんで、どんなだったっけ、と記憶を新たにするべく引っ張り出しました。
作者ブランドが前書きで「懐かしき古風なミステリー・メロドラマ」と書いているとおり、謎解きのミステリではなく、巻き込まれ型というか、おせっかいな女性が自分から怪しいところに首を突っ込んでいくサスペンスといったところ。特に序盤は時代がかった、シャーロック・ホームズにもこんな話があったなあ、という展開。
しかし、そこはブランド、プロットは一転・二転し、推理の妙もちゃんと用意されております。更には人物像がころころと入れ替わる描写など、疑惑と緊張で引っ張っていきます。そして勿論、アミスタとは誰なのか? という謎も。
終盤に入ると、思いがけない展開に伴って、伏線が次々に浮かび上がっていく。犯罪者像は強烈であるし、皮肉なテイストも流石であります。
ロマンス色が強く、ブランドの作品としては並というところですが、アイディアの密度は非常に高いですね。
やっぱり面白いや。惚れ直しました。
2015-05-03
Montage / Montage (eponymous title)
レフト・バンクを脱退したマイケル・ブラウンが、自分の音楽を演るために地元ニュー・ジャージーのワールプールというバンドをスカウトしてきて作ったのが、このモンタージュ。ブラウンはグループのメンバーになったわけではなく、作曲者・プロデューサーという関わりかただったのですが。
ブラウンの父親のコネかなんかでローリー・レコード(ディオンやロイヤル・ガーズメンのあのローリーです)と契約すると1968年に二枚のシングルを、翌年にそれらの曲を含むアルバムをリリースしました。
マイケル・ブラウンがワールプールを気に入ったのはその歌声だったとのことで、殆どの曲の演奏はスタジオ・ミュージシャンによるものらしい。この辺りはレフト・バンク時代と同じです。
そのサウンドのほうは鍵盤を中心にした演奏に、ちょっとクラシック入った管弦が加わるという形が基本のソフトなもの。そこに麗しいボーカル/コーラスが乗っかるという、まあ、レフト・バンクの延長線上にあるものなんですが、もっとすっきりとした手触りで、エコー処理もデッドな感じ。このアルバムの制作されたのは1968年なわけで、さすがにもうサイケポップではないということですな。ただ、生々しい手触りはいいんだけれど、レフト・バンクと比べてしまうとプロダクションが簡素に感じられる瞬間もなくはない。
ブラウンの手による楽曲も憂いを帯びた作風は健在、いいメロディが揃ってます。実はレフト・バンクの録音が残っている "Desiree" と "Men Are Building Sand" なんかも取り上げていて。まあ、結局はそういうプロジェクトなんだな。
レフト・バンクのデビュー・アルバムにあった要素が、マイケル・ブラウン脱退後のセカンド「Too」とこのモンタージュに分かれた、と考えればしっくりくる。個人的には「Too」よりこっちのほうが好みです。
2015-05-01
アガサ・クリスティー「蜘蛛の巣」
1954年に発表された、三幕ものの戯曲です。特にシリーズ・キャラクターが出てくることもありません。
戯曲なんて読むのは学生の頃以来で。そのときは筒井康隆の影響だったんだけど、ハロルド・ピンターとかさ。
だいたいが僕は芝居には興味がないのですよ。で、クリスティのミステリ作品を読んでいくについて、とりあえず「ねずみとり」のように原型となる小説がある戯曲は読まなくていいことにして、オリジナルのものだけを当たっていくことに決めたのです。
この『蜘蛛の巣』は女優さんからの依頼で書き下ろしたのだそう。
読み物としては中編程度のボリュームなので、あまり具体的な内容には触れませんが。喜劇的な要素の強いスリラーという感じで、死体をモノのように扱うところなどがヒチコックのある作品を思わせます。
一方、純粋にミステリとして見ると緩く感じてしまうのは否めないです。小説ならぼやかして描写するような不自然な行為(クリスティはこれが多い)も、はっきり書かれているために、犯人の見当が付き易い。フェアといえばとてもフェアですね(特にサンドウィッチを食べ続けると言う行為が、笑い所でありかつ、手掛かりにもなっているのには感心しました)。
あと、行動の描写がどうしても説明的なため、ややスリルが削がれてしまっているようでもあるか。
そういった点はあるものの、プロット上のツイストはいくつも効いていますし、雰囲気からは初期のクリスティの作品とも共通するような若々しさ、明るさが感じられて、楽しく読めました。
2015-04-30
Hysear Don Walker / Complete Expressions
ヤング・ホルト・トリオにいた鍵盤奏者、ハイザー・ドン・ウォーカー。彼がブランズウィックに残した2枚のリーダー作がウルトラ・ヴァイブよりリイシューされました。
そのうち先に出たほうのアルバムが「Complete Expressions」(1970年)、プロデューサーはウィリー・ヘンダーソン。こちらは世界初CD化ということです。マスタリングは悪くないものの、なんだかアナログ起しっぽい音も聞こえる。
ドン・ウォーカーのアルバムは2枚とも基本編成はピアノ・トリオであり、フェンダー・ローズの音色を生かしたつくりのもの。それでも、セカンドの「Complete Expressions (Vol.2)」がジャズ・ファンク、あるいはフュージョンと呼べそうな内容であるのに対して、このファーストはもっと落ち着いていて、リズムが跳ね気味の曲もファンキーとまではいかない。演奏自体もコンパクトにまとまっていて、ひたすらにメロウな手触りです。
また、収録曲はビートルズのカバー "Dear Prudence" 以外は全てオリジナルですが、これらが甘さを湛えたいいメロディ揃いであります。特に "Inner Face" というスロウが素晴らしく、この曲はセカンドでもタイトルを少し変えて再演していますが、個人的にはファーストでのシンプルな仕上がりのほうが好みです。
ニュー・ソウル時代の洗練を感じさせるイージー・リスニング・ジャズ、というところでしょうか。とにかく、一枚通して凄く気持ちよく流していられるアルバムです。
不満があるとしたら、時間が短すぎることかしら。全体で24分くらいしかないのね。それが物足りなくって、繰り返し聴いちゃう。
2015-04-29
麻耶雄嵩「あぶない叔父さん」
2011~14年にかけて雑誌掲載された五短編に、書き下ろしひとつを加えた連作集。タイトルはアンクル・アブナーとかけてあるのでしょうか。
霧に包まれた田舎町に住む高校生、優斗は寺の息子であります。そして、寺の敷地内の離れにはなんでも屋を営む、父親の弟が住んでいた。優斗はこの叔父(明らかに金田一耕助ふうだ)を慕っていて、離れに寄っては相談事を持ち込みます。
帯に書かれているように「探偵のいない」本格ミステリ、というコンセプトの本作。結果として、凄く独創的で気持ちの悪い読み物になっています。
作品の性格上、ミステリとしてはあまり複雑なものにはできないわけですが、それでも丁寧に作られてはいます。事件の様態そのものを誤認させるようなものが多く、その手続きには都筑道夫を思わせるところも。
しかし、例外的に叔父さんが自ら探偵役を買って出る「最後の海」という短編が一番、切れがいいのも正直なところかな。
また、順を追って読んでいくうちに、だんだんと真相解明シーンが繰り返しギャグにしか思えなくなってくるのが可笑しい。おいおい、簡単に受け入れるんじゃないよ、どうして突っ込むやつがいないんだ、という。
驚くほど馬鹿馬鹿しいトリック/ロジックが採用されているものもありますが、これらの雰囲気の中ではうまく生きているかと。
連作全体を通じての大ネタが仕掛けられているわけではないので、麻耶雄嵩としては軽めの一冊かしら。
面白かったけれど、この人を喰ったようなテイストは読者を選びそうだな。何にせよ、構えず、気軽に読むが吉。
2015-04-21
ロバート・L・フィッシュ「シュロック・ホームズの冒険」
ハヤカワ文庫の復刊フェアの一冊。楢喜八のカバー絵が嬉しい。
タイトル通りシャーロック・ホームズのパスティーシュ、その短編集なわけだが。軽い読み物のつもりで一作目の「アスコット・タイ事件」に取り掛かったら、いきなりわけがわからなかった。巻末の解説を読んでようやく趣向を理解した次第。しかし、後半の競馬に関する部分の翻訳はさっぱり。「タイ」は「同着」ということだろうな。そうでないと意味がつながらないので。
ホームズの見当違いな推理と、その裏で人知れず進行する犯罪というプロットの輻輳。日本の現代本格にも通ずるコンセプトであり、しかもそれが凄くすっきりとした形で収まっている。表と裏の物語の絡み方もまた、いくつかパターンがあって、工夫を感じさせてくれます。特に、前半の方に並んでいる数作は意外性も凝らしてあって、かなりな出来栄え。ついでに言うと、こちらのホームズの依頼人にはあまりカタギとは思えない商売の人間が多いというのも可笑しいな。
しかし、後の方の作品になると作り込みが緩い、というか先が読めるものが多くなってきています。また、作品構造の大枠はだいたいどれも同じなので、いくつか続けて読んでしまうと飽きてしまうかも。こういうのは一編ずつちびちび読んでいくのが吉ですな。
勿論、純粋にパスティーシュとしても良く出来ていて。そこここにドイルの原典を思わせる記述が潜んでいるのが愉しいところ。ただ、僕にとってのホームズ譚の魅力はヴィクトリア朝の生活感によるところも大きいのだが、この作品ではそういう楽しみは薄いのね。まあ、それは多くを求めすぎなのだろうけど。
フィッシュに関しては他のも読んでみたいな。
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