2016-01-02

Gals & Pals / Sing Somethin' For Everyone


昨年末からずっと聴いていたのがこれです。
スウェーデンの男女混声グループが1966年に出したバート・バカラック集で、英語詩で歌っています。我が国のワーナーから独自のCD化ですが、音質はそれほど良くないですね。レンジが狭い感じ。

同趣向のアルバムは世の中にいくつもありますが、アルバム一枚すべてバカラックの曲というのはこの作品が初だったらしい。カバー裏面のスリーヴノートもバカラック本人によるものです。
ボーカル・グループものとしてはアニタ・カー・シンガーズにもバカラック&デヴィッドの曲を集めたアルバムがあるけれど、あんなに洗練されたものではないですね。もっと元気がいいし、ブラスが入った演奏もダイナミック。それが却ってイージ・リスニングに終わらない、ポップスとしてのフックになっているとは思います。

収録曲のうち "Cross Town Bus" がそれまで誰にもレコーディングされずにいたらしい。これと "Close" というのがあまり知られていない曲かな。特に前者はなかなか良い仕上がりです。
残りの有名曲でも、ジャズ的な和声やスキャットが新鮮なテイストを付け加えています。ただ、落ち着いた曲調でのアレンジはちょっと古びて感じられるか。ミディアムの曲のほうが良いですね。

いわゆるソフトロックのファン向けでは無いとは思いますが、個性を出しすぎず抑えすぎずの加減もうまくいって、バカラック集としては良い出来じゃないすかね。


2015-12-31

クリフォード・シマック「中継ステーション」


アメリカの片田舎で周囲とは没交渉で暮らす、元軍人のイーノック・ウォレス。彼は百二十年以上生きているはずなのに三十歳にしか見えなかった。まぎれもない地球人だが、銀河中に存在する星々を結んだルート上の中継ステーション、その地球における管理人でもあったのだ。


1964年に発表された作品で、さまざまなアイディアが盛り込まれているのだけれど、今の感覚からするとSFよりはファンタジーといったほうがいいか。
高次の文明・文化を持つ異性人たちと交流を重ねることで、地球に属しながらそれを外側から見ているような感覚を持つように至ったイーノック。特殊な立場ではあるが、自身もそのあり方に充足しているようであった。だが、CIAが不老の男の存在を嗅ぎ付けた事が、やがてステーション存続の危機を呼び込んでいく。そして、イーノックはそれまで育んできた異性人たちとの関係を取るか、地球を取るかの選択を迫られることになる。

裏のないキャラクター(聾唖の少女、ルーシーなど善そのものといった感じ)、臆面もないロマンティシズムには乗り切れないところがないではない。寓意が見えてしまうのもやや興醒めだ。けれど、一方でそれらが作品にいきいきとした力強さを与えているのも確かであるよね。

事件はさらには銀河系全体を巻き込む危機にまで発展していくのだが、その舞台が一貫してウィスコンシン州の僻地から出ることがない、というのが凄い。そしてさまざまな出来事を経ながらも、物語はイーノック自身の心のありかた、アイデンティティの問題とともにある。ここら辺り、時代が一周回って現代的かも。

壮大なスケールを有しながら手触りは暖かく、しみじみとした叙情を残す作品であります。いい本だ。
ところで、シマックでは『都市』というのが有名ですけど、あの作品には後から一章が付け加えられたという話で。個人的にはあれ以上の終わり方は無いとは思うのだけれど、完全版として新訳が出されることがあれば読んでみたいですね。

2015-12-21

Herb Alpert's Tijuana Brass / Whipped Cream & Other Delights


ティファナ・ブラスの4枚目のアルバム、その50周年盤。ハーブ・アルパート自身のレーベルからのリイシューです。「REMASTERED FROM ORIGINAL ANALOG TAPES」 と謳われていて、ボーナストラックもライナーノーツも付いてませんが、音は確かにいいですよ。
ティファナ・ブラスというのはそもそもがスタジオ・プロジェクトであって、ライヴではともかく、レコードに関してはハリウッドのセッション・ミュージシャンたちによる演奏です。

ポップ・インストゥルメンタル、というのかしら。肩が凝らずに聴ける気持ちのいい音楽ですな。メキシコ風味が決して泥臭さになっていないのは、プロデューサー&アレンジャーであるハーブ・アルパートのセンスによるところが大なのでしょうが、個人的にもA&Mレコードと聞いてまず初めに浮かぶのはこのサウンドなんですね。明るく軽やか、時にユーモラス。

このアルバムでは食べ物についての曲ばかりを取り上げているようで、その辺りも何だか洒落ているじゃないですか。うち、我が国では "Bittersweet Samba" が突出して知られていますが、米本国では "A Taste of Honey" が大ヒット。いかにもハル・ブレインらしい、華やかで力強いドラムはすぐにそれとわかるものです。
また、アラン・トゥーサン作の "Whipped Cream" の洗練なんて、バカラック的ですらあって、とても好みですよ。

全体を通しても27分くらいか、その短さも丁度いい。
'60年代アメリカ中流階級の豊かさ、そんなことまで考えてしまう。このスムースさにはもうなんか、降参って感じですわ。


2015-12-20

アガサ・クリスティー「鳩のなかの猫」


新学期になって全寮制の女学校、メドウバンクに新しい生徒や新任の教師たちがやってくる。一方、それに先立って中東のある国でクーデターが起こり、このときに非常な価値をもつ宝石が消失してしまう。そして、その行方に関する手掛かりがメドウバンク校にあるようなのだ。かくして、ある組織の男が身分を秘して送り込まれるのだが、やがて殺人事件が。


1959年、良家の娘を対象にした女学校を舞台にした長編。一応、エルキュール・ポアロも出てきます。
『鳩のなかの猫』というタイトルは英国の言い回しらしく、鳩の群れの中に猫を放り込む、すなわち騒動を起こす、と。メドウバンクの生徒や教師たちが鳩であり、そのなかに猫が潜んでいるということだ。
国際的な問題を背景にしたスリラーとして展開する今作、女史のこの系統の作品の例に漏れずディテイルはゆるゆる。しかし、人物は印象的だし、ユーモアの配分も上々であって、快調に読み進めていけます。

物語全体の七割くらいまで来たところで、ようやくポアロが登場。自信に満ちたキャラクターであるポアロは頼もしいのだが、一方でその存在によってここまで魅力的に描かれていたある人物の影がとたんに薄くなってしまうという面もあります。
また、ミステリとしては意外性をはらんだつくりであるけれど、伏線らしいものがなさすぎる。実はこうでしたよ、と言われてもあまり感心できないなあ。
正直、ポアロは出さないほうが良かったのでは。

スリラー要素と謎解きがうまく嵌らなかったという印象を受けました。それでも雰囲気の良さ、お話作りのうまさでクリスティのファンならそこそこ楽しめるとは思います。

2015-12-13

The Beach Boys / Beach Boys' Party! Uncovered and Unplugged


「Beach Boys' Party!」(1965年)のなんというか、アウテイク集2CDであります。
実は、ビーチ・ボーイズの作品中でも「Party!」にはそれほど思い入れがないのですよ。元々がキャピトルからのリリース要請をしのぐために制作されたものであって、曲はカバーばっかだし、演奏・アレンジとも非常に簡素。だから今回のリリースのことを知ったときには、意外に思いました。「Pet Sounds Sessions」や「SMiLE」の次がこれなの? という。
ところでタイトルには「Unplugged」とあるけど、いくつかの曲ではエレクトリック・ベースも使われています。

ディスク1最初の12曲はアルバム収録曲を、パーティ・ノイズを入れずにステレオ・ミックスしたもの。ちなみに「Party!」のオリジナルはモノラルしかなかったのだけれど、三年前にモノ&ステレオの形でもリイシューされています。
実際、聴いてみてどうだったかというと。クリアさは劇的に向上して、ディテイルまでくっきり。中でも2曲のスロウ、エヴァリー・ブラザーズの "Devoted To You" とクリスタルズの "There's No Other (Like My Baby)" は美しさが際立つ仕上がりになっていて、いいですね。


あとはセッションからのものが69トラック(会話を除くと50トラック)、時系列順に収録されています。特にアルバムに入らなかった曲はなかなか新鮮です。ストーンズの "(I Can't Get No) Satisfaction" なんて、なんとかして詰めようとしている。ビートルズ、ディランを取り上げてるので、ストーンズもひとつ入れたい、というところだったのでしょうか。また、既発曲では "Hully Gully" のリードを取るのが最初、マイクでなくブライアンであって、これは嬉しい。
ただ、全体に楽しげな雰囲気はいいけれど、なんとなくその場の思いつきで歌っているような曲もあって、ビートルズのゲット・バック・セッションに通じる締りの無さも感じるのな。会話だけのトラックなんてヤンキーがただ騒いでいるようで、こんなにたくさん入れるなよ、という気はします。

なおライナーノーツにおいて、「Party!」のアイディアはジョニー・リヴァースのライヴ盤「At The Whisky A Go Go」(実際にはウェスタン・レコーダーでスタジオ録音された)にヒントを得たのではないか、と書かれていますよ。

2015-12-06

ジョン・ディクスン・カー「髑髏城」


1931年発表になる第三長編で、アンリ・バンコランもの。新訳決定版と謳われています。
旧い版では文章の脱落があった、という話も聞いたことがありますが、その割に今回のものの方がページ数は減っているのね。

頭蓋骨をかたどった奇怪な城〈髑髏城〉、その持ち主であった高名な魔術師はありえないような状況で死亡していた。それから17年後、髑髏城を継ぎ受けた男が火だるまになりながらその城壁で最期を遂げた、という話。
事件といい、怪奇趣味が凄いですな。髑髏のお城って。

バンコランものの常としてユーモア味には乏しいのですが、そのかわりに臆面もないロマンティシズムが横溢。茫洋として雰囲気たっぷりの情景描写、バンコランの真意を汲み取りにくい発言、事実なのか比喩なのか判断しにくい表現などからは、ゴシック的なものも感じ取れます。
また、本作品ではバンコランの好敵手として、ドイツの捜査官アルンハイムが登場。ふたりは紳士的に振舞いながらも、互いに激しい火花を散らしつつ事件の解決を競います。はじめのうちはバンコランが先手を取っているように見えたものの、ある時点でアルンハイムは24時間以内に犯人を逮捕すると宣言。静かな面持ちでそれを聞いているバンコランでありましたが。

不可解で奇怪な事件はどうして起こされたのか。飛び切りのホワイ? ですが、正直これは推理のしようがないかな。
その一方で、フーダニットとしては細かい手掛かりを基にしながら、意外性もある謎解きが楽しめます。

推理合戦という趣向もいいですが、大時代的な雰囲気や道具立てなど伝奇的な部分も込みでの娯楽編として読むのが吉かと。

2015-11-30

フィリップ・K・ディック「ティモシー・アーチャーの転生〔新訳版〕」


1982年、ディックの死後まもなくに発表された長編。

タイトルであるティモシー・アーチャーはカリフォルニアの主教という設定で、この作品の開始時点では既に故人となっている。語りはティモシーの息子(彼も亡くなっている)の妻、エンジェル・アーチャーによる回想を中心としたもの。女性が主人公というのはディックにしては珍しい。

内容を乱暴に要約すると、エンジェルのまわりにいる頭のいかれた人々がその運命に囚われ、死んでいく物語だ。だから、雰囲気はペシミスティックなものにならざるを得ない。
小説として動きが少ない分、ナラティヴは非常に饒舌。一方で『ヴァリス』『聖なる侵入』と違うのは、エンジェル自身は宗教的なものを少し距離をおいて見ているところであり、その分わかりやすくはある。

エンジェルの周囲の人々が死んでいったあと、終盤に差し掛かったところで、作品の冒頭の時点に戻ってくる。ここからちょっとした展開があります。ある意味で『ヴァリス』とリンクするような。ただし、本作はSFではない。故に、現実に起こってしまったことを覆す手立てはもはや存在しない。

正直、娯楽性には乏しい作品だ。けれど、ディックは自身が抱えていた問題に対処するのに、ここでは安易な救済に逃げなかった。明確な意思を感じさせる結末が生む、じわじわとした感動はそのためだ。
『ヴァリス』や『聖なる侵入』を自ら批判し、それを乗り越えた。キャリア末期の作品群ではこれが一番かもしれないな。