2023-10-15

ジャニス・ハレット「ポピーのためにできること」


司法弁護士タナーからふたりの実務修習生、フェミとシャーロットに資料を提供するので、それを読んで考察を行うようにという課題が出される。彼らに預けられたのは時系列に整理された、メールやメッセージ、新聞記事などからなる膨大なものだった。
果たして何についてのテキストかわからないまま(読者とともに)それらを読み進めていくうち、現代イギリスの田舎のコミュニティ、その様態が徐々に明らかになっていく。だれが力をもっていて、だれが(陰で)疎まれているか。さらに、あるゴタゴタによって、それまで明らかにされていなかった個々の問題や、隠し事の存在が浮かび上がる。


2021年にイギリスで発表された長編。文庫で700ページくらいあります。
流れをつかむまでがなかなかに大変。登場人物が多い上に、ほとんどがメールのやりとりからなり、地の文がないため省略が効いていないし、どこへ向かう物語なのかが見えてこない。とにかく水面下でトラブルの種が着実に成長しているのはわかる。全体の半分くらいからようやく展開が早くなって、一気に読みやすくなりますが。
一方、ところどころでフェミとシャーロットの間で行われたメッセージのやりとりが差しはさまれ、疑問点や推察などが挙げられていく。これによってミステリとしてのテンションが維持されてはいます。あと、好感のもてる人物が皆無なので、このパートがくるとほっとするな。

読んでいる途中で気がつくのは、ほとんど登場人物全員によるメール文が記載されているのに、ある中心人物によるものがまるまる欠落している、ということだ。古典的なミステリ、というかクリスティなら、この人物像そのものがメインの謎になってきそうだが。あるいはこの欠落している、という事実そのものに意味があるのか。
また、三人称の描写がないことより、文章からは読み取れないが当然となっている前提を想定することもできますが(たとえば人種の別とか)、さて。

作品の3分の2くらいのところで、タナー弁護士からのメモが挿入され、唐突に被害者の名が示され、その謎を解くようにという指示が。以下、50ページほどでフェミとシャーロットに与えられた資料はひとまず終わる。問題編はここまで、ということか。
これ以降はふたりによる推理のディスカッションが展開される。直接証拠がなく、主に動機に基づいたものなので、仮説はいくつも立てられる。伏線の妙や意外な盲点への気付きなどが満載で、非常に楽しいです。ただし最終的に導かれるのはこうであれば成立する、という解のようなものであり、あまり厳密なロジックとはいえません。
もっといえば、タナーにとっての真相に誘導されている感さえします。

思い返してみれば事件そのものは凄く地味で、それにしては長すぎるよね。一方で、この形式でしかできないミステリとしての創意は十分に効果を上げているかと。

2023-10-09

Dee Dee Warwick / Foolish Fool


ディー・ディー・ワーウィック、1969年にMercuryよりリリースされたセカンド・アルバム。
二年前に出されたファーストがそうであったように、それまで断続的に録音されていたものを集めたもので、シングルが当たったタイミングでそれらをまとめて出した、という感じ。

ゆえに統一感はないですが、内容はいい。全11曲中6曲は前作でも大半を手掛けていたエド・タウンゼントがプロデュース。アレンジャーはレネ・ホールで、このふたりはマーヴィン・ゲイ「Let’s Get It On」A面でもおなじみの組み合わせ。落ち着いた調子の曲が多いのだけれど、ヒットしたタイトル曲は固めのドラム、リード・ギターが妙に恰好よく、迫力あるボーカルをあおる。都会的なミディアム "Where Is The Rainbow" も爽やかで良いです。
また、ギャンブル&ハフがプロデュース、ジョー・レンゼッティがアレンジの “It’s Not Fair” はオーソドックスなスロウかと思わせていきなりの転調が印象的。

個人的に好みなのはジェリー・ロスが制作した2曲で、アレンジはジミー・ウィズナーが担当。"When Love Slips Away" はイントロからして高揚感のあるミディアム・スロウ。"Don't You Ever Give Up On Me" はすこしモータウンを意識したふしも感じられる、伸びやかなノーザンダンサー。
あとニーナ・シモンが初出となる "Don't Pay Them No Mind" は実はディー・ディー・ワーウィックのほうが先に録音していて、という。ニーナ・シモン版の方がアレンジがシンプルな分、楽曲自体のもつ魅力はダイレクトに伝わってくるのだけれど、ビブラートがどうも苦手で。いずれにしてもいい曲ではあります。

唄が凄くうまいのに、変に曲を崩したりはしない。こういうシンガーが好きなのですよ、わたしは。

2023-10-01

ロバート・シェクリー「残酷な方程式」


1971年に米国で出た短編集で、収録作品もそのあたりの時期のものが多いようです。SF雑誌に発表された作品もあれば、プレイボーイ・マガジンに載ったものもあり。せいぜい20ページぐらいの分量の作品ばかりで、読みやすい。

内容のほうは、‘50年代のアイディア・ストーリイとは違い、結末の意外性にはそれほど重きは置いておらず、過程をどのように書くか、枝葉の膨らませ方が読みどころといえそう。また、ニューウェーブSFの影響を感じられる作品が多いのですが、中にはテーマや手法のみで書かれたようなのもあって、それらは(かつては新奇さをもって受け入れられたのでしょうが)今では古びてしまっているかな。


特に印象に残ったものをいくつか。

「倍のお返し」(おそらくユダヤ人の)男のところに黒人の姿をした悪魔が訪ねてくる、三つの願いのアップデート版。メインのアイディアはちょっと変わったもの、という程度なのだけれど、人間性の書き込みで可笑しくなっている。

「コードルが玉ネギに、玉ネギがニンジンに」はSFではなく、いわゆる奇妙な味のもの。人間のもつ残酷さを描きながらユーモラスであり、あまりエスカレートさせずにほどほどのところで止めることでリアリティを持たせているのがいいですね。さらっとした幕引きも効果を上げている。ようは小説としてうまいのだな。

「記憶売り」思想狩りを扱ったディストピアものなのだが、記憶売りという商売の設定がいい。そのことで軽みがもたらされているのだと思う。

あと、「架空の相違の識別にかんする覚え書」「シェフとウェイターと客のパ・ド・トロワ」は両者ともSFではなく、まるでラテン・アメリカ文学のよう。前者は理屈っぽさ、作品世界の内と外をあいまいにするところなど実にそれっぽい。「シェフと~」の方は同じ物語を視点人物を変えて語り直す「藪の中」なのだが、現実が複数存在するとも解釈できるし、ドタバタユーモアが効いているのもいい。

2023-09-17

アントニイ・バークリー「レイトン・コートの謎」


密室内で発見された死体は、その手にしたリボルバーで頭部を打ち抜いていた。警察は事件を自殺として処理。だが、発見者の一人であった探偵作家、ロジャー・シェリンガムは自殺にしては明らかに不自然な事実に気付き、真犯人を見つけ出すべく調査を始める。


1925年発表、アントニイ・バークリイの長編第一作目にして素人探偵シェリンガムもの。父親への手紙のかたちをとった序文においてバークリイは、自分の書く作品はフェアな謎解きであって、探偵の入手した手がかりはすべて読者にも明らかにされる旨を宣言している。

実際の作品の方は明るいユーモアをたたえたストレートなフーダニット。調査、証拠の発見、関係者への聞き取りを行い、仮説を立てては裏付けを探し、辻褄が合わなければ別の仮説を立てる。単調なものになりそうですが、恐ろしく明晰なのに思い込みが激しく、その上おしゃべりなシェリンガムのキャラクターが良く、楽しく読み進められます。でもって、密室の謎もさっさと解いてしまいます(もっともこいつは大したものではないですが)。

フェア・プレイに徹しながら意外性を持たせた真相はなかなかのもの。正直、現代からするとそこまでではないかもしれませんが、黄金期に書かれたことを考慮すれば相当でしょう。
また、探偵像の典型からずれたシェリンガムのキャラクターも、かつては新鮮さを持って受け止められたのではないか。

面白く読んだのですが、バークリイ入門向けではない、という気はします。はじめてのひとは、だらだらしてんなあ、と思うかも。こんなもんじゃないんですよ、凄いときのバークリイは。
ユーモア味のある雰囲気、密室のゆるさ、それに父親へ宛てた序文等、この作品の数年前に発表されたミルンの『赤い館の秘密』の流れを汲む謎解き小説、と捉えると個人的にはしっくりくるかな。

2023-09-02

ミシェル・ビュッシ「恐るべき太陽」


2020年発表のフランス・ミステリ。550ページほどあります。帯には「クリスティーへの挑戦作」という文字。

大雑把にいうと孤島に集められた人々がひとりひとり……というお話。主に登場人物の手記と日記によって交互に語られる、という構成をとっているのだが、『アクロイド殺人事件』も引き合いに出しながら、決して嘘は書いていない、ということが何度か強調される。なるほど、『そして誰もいなくなった』と『アクロイド~』二作を意識させられる設定とはいえるのだけれど、作品自体にそれほどクリスティ味はないです。

事件が起こり、さらには次の犠牲者がほのめかされているのに、登場人物たちには本気で身の安全を心配しているような感じがあまりしない。孤島といっても現地で普通に生活している人々はいるし、外部との連絡もとれるせいかサスペンスが薄いのです。正直、中盤くらいまでは少し冗長な印象を受けました。

一方で、物語が進むにつれ些細な違和感が積み重なっていき、この文章はどこかおかしいところがあるぞ、と思わせられます。さらに明らかに矛盾する描写もいくつか出てきて、(事件の犯人が誰なのかということとともに)一体、何が起こっているのかという謎が膨れ上がっていきます。

最後に明らかにされるのは恐ろしく手の込んだ仕掛けで、これにはすっかり騙されてしまいました。読み返してみると、はじめからはっきりとヒントは出されているし、とても巧く構成されていることがわかります。ところどころ綱渡りな描写もあって、たまらない。
ただ、ひとつ引っかかったのは、作中世界において手記の操作は何のために行われたのか、という点がはっきりとしないところかな。

ミステリとしての徹底がリーダビリティを損なっている面もあるのですが、まあ読み終えてみれば抜群に面白かったです。

2023-08-27

The Sound Gallery


歳を取ったせいもあるのだろうけど、ここ数年で音楽への興味が急激に変わってきました。普段聴く音楽のうち歌物の所謂ポップス、ロックといったものは二割程度となり、あとは大体インストものばかり。サウンド志向が強くなったのだけれど、それにしてもかなり急な変化でした。

おそらく、そうなったきっかけのひとつが「The Sound Gallery」という1995年に出たコンピレイション。1968~76年の間に英EMIよりリリースされたイージー・リスニングを中心に編まれたものです。
実は昔にこれを聴いたときには、全然ピンと来なかったのよなあ。イギリスのオーケストラの録音は抜けが悪いなあ、もっさりしてるなあという印象で。サウンドの感触が好みではなくて、しっかり聴き込む気にもならなかった。

それが数年前、気まぐれに聴き直してみたところ、あれ、こんなに良かったんだ、と思ったのですね。今でも管弦の響きやエコーに野暮ったさを感じる曲はあるのですが、それらがあまり気にならなかったのです。歳を重ねておおらかになったのでしょうか。そうして、ようやく演奏の中身にまで踏み入ることができるようになったというわけ(ちなみに昔に聴いていいと思ったのは一曲目、デイヴ・ペル・シンガーズの "Oh Calcutta" でした。思えばコンピレイション中、この曲だけが米国産だったのだな)。

まあ、わかりやすくも格好よくてアレンジの洒落た曲がいくつもあります。クレジットを見るとライブラリー・レコードからの選曲が多いのです(特にKPM)。それで、この「The Sound Gallery」再見以降、ライブラリーに絞ったコンピで良さげなのを探して聴くようにもなりました。
しかし、この方向も掘り出すとキリがないでしょうね。もし、本腰を入れてやるなら、いっそ配信買いにシフトした方がいいのですが。

ボリューム2もあって、こちらもなかなか

2023-07-22

Neil Young / Harvest (50th Anniversary Edition)


近年のニール・ヤングは過去の音源を何しろ色々出していて。わたしはそれほどしつこくフォローはしていないのだけれど、'70年代のニール・ヤングにハズレはない、というのは間違いない。しかし、近い時期の弾き語りライヴがいくつもあって、それぞれの内容の区別があまりついていないのも本当のところだ。

で、昨年の暮れに出た「Harvest」(1972年)の拡大版なのですけれど。CD3枚+DVD2枚にハードカバーのブックレットという構成で、「After The Gold Rush」の50周年がボーナス2曲にとどまったのに比べると、手厚いつくりではありますが。正味の音源の量でいうとそうでもないか。


ディスク1は本編のストレート・リイシューだが、これは2009年のOfficial Release Seriesでのリマスターそのまま。ケースのスパインに「ORS 04」とあるのも同じ。
音楽そのものについてはいまさらなのですが、まあタイトにつくられていますね。ここでバックを務めるストレイ・ゲイターズが、ニール・ヤングが従えたバンド史上もっとも演奏のうまいメンバーかも。あまりに良すぎて長い期間は維持できなかったわけですが。

ディスク2は昔からお馴染みのBBCライヴ。しかし考えてみると、これ1971年の2月の録音なわけで。アルバムがリリースされる1年前に新曲をばんばん演っていたわけか。そりゃあ、観客もおとなしいわ。
そして、ディスク3はアルバム・アウトテイク3曲。内容はいいのですが少ないですなあ。BBCも30分ほどしかないわけだし、これだけ別にするのは、ううん。


で、DVDの方。「Harvest Time」という、全編が当時の映像からなるアルバム制作のドキュメンタリー、これこそがこのパッケージの目玉であります。
ストレイ・ゲイターズとのセッション風景が結構な尺で収められていて、ちょっと興奮。また、クロスビー・スティルズ&ナッシュらとのハーモニー・レコーディングも見応えがあります。
過去に見たことのある映像も混じっていますが、二時間たっぷりあるので問題はない。正直、冗長なところはあるのですが、よくぞあれもこれも入れてくれた、という感じです。


もうひとつのDVDはBBCライヴの映像版。これは10年かそこらくらい前に英国で再放送されていて、そのデジタルコピーで画質がいいやつも出回ったので、さほど感激はないですが、オフィシャルで出たということに意義はある。
しかし、このディスクの初期版は音声に不具合があって、でかいところが歪んでいるのだ。新たに製造したやつは音が直っているそうで、現在はオフィシャルで交換を受け付けています(わたしも手配中です*1)。

最初のほうで書いたように50周年記念盤として音源の量的にはちょっと物足りない。これを補うには2019年に出た「Tuscaloosa」も併せて聴くといいか。正真正銘、ケニー・バトリー入りストレイ・ゲイターズを率いた、1973年のライヴ盤ね。
ライヴであっても、めっちゃ安定している演奏はさすがであります。他ならぬアラバマの地で “Alabama” を演っているのも凄い。スタッフはひやひやしたかも。
あと、ニール・ヤングは「ジャック・ニッチー」と呼んでいる気がするな。



(追記)
*1: 到着しました。オフィシャルで手続きをしてから一週間後に発送通知があり、そこからエアメールでうちまで約十日と、まずまず悪くない対応ではないか。