2022-10-26

アンソニー・ホロヴィッツ「殺しへのライン」


『メインテーマは殺人』『その裁きは死』に続く諮問探偵ホーソーンもの。英本国では昨年に出た作品です。

シリーズ三作目となるとホーソーンの嫌なやつ&切れ者ぶりの紹介は手短に済ませられるのでありがたい。わたしはこの作者の描くキャラクターに魅力を感じないので、あまり掘り下げて欲しいとは思わないのです。物語の早々に舞台はロンドンから英国領だがフランスに近い、オルダニー島へと移されます。前二作が警察から依頼された事件を解決する、といったものであったのが、今作ではホーソーンと語り手のホロヴィッツが文芸フェスで招かれた先で事件に巻き込まれる、というお話。都会を離れたせいか、作品全体の雰囲気がぐっと開放的になっていて、これが悪くない。

事件は地元の権力者が凄く不愉快な奴で、案の定やられてしまうというもの。犯行の機会は誰にでもありそう。犯罪現場にはひとつ奇妙な点があって、これがわかれば全てが収まるべきところへ収まるよ、とかなんとか。
また、今作にはホーソーンが宿敵というべき人物と邂逅する部分があるのだが、シリーズ前二作を跨いできた割に、これが盛り上がらないし、説得力もない。創元社から出ているもうひとつのシリーズ、アティカス・ピュントと編集者スーザンものにも言えるのですが、ウェルメイドな展開はうまいのに、そこからはみ出す部分がつまらない、という印象です。

肝心の謎解きですが。
一番の驚きが最初に来て、そこから推理は一気に展開するのだが、この部分の手掛かりにもっと強いものがあればなあ、と思います。
散りばめられていた数多くの伏線、それらがうまい具合に嵌っていくのは気持ちいい。ただ、証拠としては弱いし、余詰めへの配慮もないような。物証が無くとも、こうでしかありえない、というくらいのロジックがあればよいのだけれど、犯人が早々にあきらめてしまった感じ。
また、あんなに立てていたホワイダニットからも正直、ずれた感を受けたのが痛い。

ミステリとしての全体の流れはとても良いです。うまい。
地味だけど丁寧に構築された作品だと思います。そこそこ面白かった。

2022-09-23

エラリー・クイーン「Yの悲劇【新訳版】」


創元推理文庫からの新訳『Yの悲劇』です。
創元の新訳クイーンとしては2年ぶり、前作『Xの悲劇』からは3年ぶり、角川文庫での新訳『Yの悲劇』からは12年ぶりになります。最近はハヤカワ文庫が頑張っている分、創元のクイーンのほうは熱が落ち着いてきたのかな、という気はします。
本当をいうと『Yの悲劇』の仕掛けのひとつは、『Xの悲劇』の記憶があまり薄れてしまうと効果が弱まってしまうのだが。

さすがに今回はそんなに面白くは読めないだろう、と思っていたのだが、いやあ、そんなことはなかった。もちろん、筋書は知っているのだけれど、むしろ作品への理解が進むほどに事件全体の構図、その異様さに驚く。作中で何度も立ち上がる故ヨーク・ハッターの影、これがたんに虚仮脅かしというのではなく必然であるというのも凄い。なかでも『バニラ殺人の謎』の構想「一人称視点。犯人は筆者」であり、「ヨーク(私) Yと略す。犯人」のもつ威力と言ったら。クイーンがレベルの混交に対して自覚的であったことを明確に示すものだ。
そして、それほどまでに奇妙な事件が証拠に基づいたシンプルなロジックで解かれてしまう、というのもまたクイーンらしい恰好良さ。

もし後期のクイーンなら真犯人としてヨーク・ハッターを名指したか。あるいは3度目の未遂事件の前までは、真犯人は決定不可能としたかもしれない、なんてことを考えました。
あと、若島正の解説はめちゃめちゃ明晰、10ページほどだがとても面白かった。

2022-09-17

Burt Bacharach / Casino Royale (50th Anniversary Edition)


スペインのQuartetというと古い映画の珍しいサウンドトラック盤リイシューで知られている会社ですが、ヨーロッパにあるサントラ専門のところの例に漏れず、カタログの殆どが枚数限定で、それに従うようにお値段も少し高めです。わたしのようなサントラ半可通が良さそうだな、でも高いなあ、なんて思っているうちに価格がどんどん上がっていく、もしくは入手不可にということはしばしばあります。
ただし、「Casino Royale」は色んなところから何度か出し直されてきたタイトルであり、Quartetにしては枚数を多めにプレスしたこともあってか、出されてから5年経った現在でもまだ普通に買えそうです。


「Casino Royale」のサントラを最初に再発したのはおそらく米Varese Sarabandeだと思う。わたしもそれで長いこと聴いていたのだが、これは音に歪みやドロップアウトがあって、あまり良いとはいえなかった。
さらに悪いことにVarese~では、そのデジタル・トランスファーの際にオリジナル・マスター・テープを損傷させてしまったらしい。そして、これより後年に他社から出たリイシューもこの傷物のマスターを使ってきました。

2012年になって、Quartetからこのアルバムの45周年2枚組CDが出ました。1枚目が映画で実際に使われたスコア(モノラル)を完全収録。2枚目がサントラ盤のリイシューで、このときはスペインで見つかったサブ・マスターが使用されました。
この盤も持っているのだけれど、コンプリート・スコアには疑似ステレオっぽいエコー処理がなされているのですね。肝心のサントラ盤のほうも分離がいまいち良くない感じがするし、ピーク部分になると音が潰れているようで、満足とまではいかなかった。


で、その五年後に再度Quartetから50周年盤として1枚ものが出たわけです(この時には権利者から2枚組にする許可が下りなかったそう)。オリジナル・サウンドトラックにフィルム・スコアからの抜粋、初CD化となるマイク・レッドウェイ "Have No Fear Bond Is Here" シングル・ヴァージョンで77分強まで詰め込まれています。
このリイシューの際には、良いソースを探し、吟味した結果、マスター・テープが損傷する以前に作られたデジタル・トランスファーのデータがあって、それが手に入るもので一番だったと。マスタリングは音圧控えめでダイナミック・レンジを尊重した丁寧な仕上がり。これなら安心して聴けます。
また、フィルム・スコアの方も、変な加工をせずナチュラルな響きのモノラルです。


バート・バカラックの音楽については今更、言うこともないか。最高。
ゴージャスで華やか、スケール感があっても決して重くならない、やっぱハリウッドってすげえなあ、と思ったら、これ、基本はロンドンでの制作なのですね。失礼だけれど、かの地にもえらい録音エンジニアがいたのね。あるいはフィル・ラモーンの力か。

2022-09-03

エラリイ・クイーン「ダブル・ダブル〔新訳版〕」


「いないんだよ、リーマ。あれは幻想だ。銀をモチーフとした象徴的表現さ。彼女は本来の居場所、つまり書物のなかから直接やってきた。恥を忍んで言うと──ぼくも昔、マルヴィーナみたいな登場人物を書いたことがある」

1950年発表の長編。
『ダブル・ダブル』まで新しい訳で出るとは。この作品、わたしは旧い訳のもので二回くらい読んでいるはずなのだが、そんなに感銘を受けた覚えがない。忘れているだけかもしれないけれど。
中期以降のクイーン作品は半世紀くらい昔に翻訳されて、それっきり誰も手をつけていなかったのだけど、(ディクスン・カーなどとは違い)ひどい訳文のものが放置されていたわけでもないので、改められる必要をあまり感じていなかった、というのも本当のところ。
さて、この作品の読みどころはなんだろう。ライツヴィル・サーガとしてのものだろうか。

いい加減、感性が擦れ切ってしまった今見ると、リーマ・アンダーソンの設定はあざとすぎるように思うのだが、「これはファンタジーの世界のミステリですよ」という宣言のようにも思える。また、事件の主要な関係者がみな揃って形式化された通り名を持つのも、おとぎ話らしさを裏打ちする。あと、ライツヴィルにも押し寄せた近代化の波、その象徴のようなマルヴィーナ・プレンティスの描かれ方はいかにも戯画的だし、他にも、エラリイがリーマにミッションを伝える際には、探偵小説のキャラクターをなぞるように命じているのだ。
作品を後半まで読み進めていくと、こういったフィクション感の念押しはプロット上の要請であることがわかる。

全く手掛かりがない、事故か犯罪かも判断できない状態からエラリイが見出したのは、ある童謡の見立てであった。ただ見立て連続殺人というだけでもファンタスティックなのだが、さらにもうひと捻り。そのねじれ具合がもうクイーンでしかありえなさそうなもので、嬉しくなってくる。ただし、うまくいってはいないのだな。

解決を迎えるときにはもう、キャラクターが作者に都合のいいだけの駒に戻ってしまっている。リアリティは犠牲にされ、犯人の心理にも説得力がない。仮に舞台がライツヴィルでなかったなら、こんなに違和感を持たなかっただろうか。
パズルとしてはどうだろう。クイーン自身の作風をミスリードに使っているふしもないではない。事件のどれが犯罪でどれが事故なのかが決定するまでは、そちらの犯人でも成り立ってしまう。そんなことを考えてしまうのも、ディテクションの作品としては全く物足りないからだ。エラリイが真相に行き当たった道筋は推理によるものとは言い難い。
ただ、犯人が見立てを使った理由はクイーンらしくて、これにはわたしは満足してしまいました。

クイーンの個性が強く出ているようで、わたしは面白く読めたけれど、出来は今一つ。やはりこれはファン向けの作品だと思う(1950年以降の長編は全てそうだけれど)。

2022-08-22

ウォルター・S・マスターマン「誤配書簡」


1926年に発表された英国製探偵長編。
チェスタトンによる序文がついていて、これ自体が探偵小説論としてちょっと面白いのだけど、その中で、この作品には小狡いところはなくて、なおかつ騙されるぞ、という称賛が送られています。まあ100年近く昔に書かれた作品なので、こちらとしてはチェスタトンの評価をそのまま鵜呑みにはできないよね。むしろ、そこにしか見所がないとしたら、現代からすると辛い読みものになっているということは十分に考えられる。


ロンドン警視庁に匿名の電話による通報が入る。内務大臣が殺されたというのだ。連絡を受けたシンクレア警視はいたずらと判断するが、そこに懇意にしている私立探偵、コリンズが現れる。聞くと、シンクレアの配下のものから捜査の協力を請う、という電話を受けたという。しかし、シンクレアにはそんなことをさせた覚えはない。念のためにコリンズとともに大臣宅を訪ねると、そこで発見したのは密室内での死体であった。

大胆な犯行声明に密室殺人、行方不明になった警官など気を引かれる要素があり、語り口のテンポもいいので楽しく読み進められるのだけれど、なんだか変なところも多い。これがデビュー長編だったということもあってか細部が雑で、展開からはフランス・ミステリみたいな乱暴さも感じる。
あと、ミステリとしての核の部分でも、密室の扱いがちぐはぐなような(探偵は外から工具を使って簡単に扉を開錠できたのだから、犯人が施錠して出ていくのもそんなに難しくはないのでは、と思ってしまう)。

真相を隠そうともしていないような箇所と、それとは矛盾するような「あれ? でもなあ」と深読みさせる表現があって、終盤近くまで興味が途切れることはありません。今だとフェア、アンフェアが厳密に見られてしまうので、ここまで大胆な書き方が出来ないんじゃないか。
でもって、肝心な謎解きはちゃんとしています。小説として下手くそだ、と思っていた要素もある部分に関しては必然であったことがわかって、納得。しかし、凄く有能な犯人の設定なのに(タイトルにある)凡ミスはどうか。

ミステリとしての冒険に粗さが味方して、いきおい面白く読めました。

2022-08-16

The Grass Roots / Where Were You When I Needed You/Let's Live For Today/Feelings/Lovin' Things


はじめに、名前が決められた。ローカル・バンドが名乗っているもので良いのがあったので、それを盗んだのだ。音楽のほうはヒッピーの間での流行りに当て込むことにした。
シングル・レコードが制作され、プロモーションのためにあるバンドがスカウトされた。最初のアルバムが出された頃には、そのバンドは既に逃げ出していた。穴を埋めるために別のバンドがリクルートされた。



今年になって、グラス・ルーツの最初の4枚のアルバムが2CDで英BGOよりリイシューされました。
使用されたマスター・テープについては記載されていませんが、実際の音の方はかなりいいです。彼らがダンヒルに残した作品のオリジナル・マスターも、2008年に起きたユニヴァーサルの火災によって焼失したようなので、英国で保管されていたコピー・マスターを使ったのでしょうか。


グラス・ルーツのファースト・アルバム「Where Were You When I Needed You」は1966年リリース。制作はP. F. スローン&スティーヴ・バリーで、カバー曲以外の作曲も全てスローン&バリーによるもの。
サウンドのほうはフィル・スローンのセンスがはっきり出た、きらきらしていて、ほんの少し湿度もあるフォーク・ロック。聴いていて気持ちがいい。スローンは収録曲の半分でボーカルもとっています。また、アップの曲ではサーフ/ホットロッド(ファンタスティック・バギーズだ)の名残りを残しているようで面白い。

翌年、シングル "Let's Live For Today" がトップ・テン・ヒットになったのを受け、メンバー総取っ換えで制作されたのが同名のセカンド「Let's Live For Today」。時代を反映したカラフルさのあるアルバムです。リズムが強調され、ハーモニーやコーラスが多用されることで、よりバンドらしくもなっています。今回のリイシューで一番好みなのは、このアルバムのA面部分になるかな。キャッチーで、かつ勢いがみなぎっている。
なお、収録曲にはメンバーの書いたオリジナルが4曲採用されていて、それらも手厚いアレンジが施されてはいるものの、いまひとつ印象は弱い。

1968年になるとP. F. スローンがダンヒルを離れてしまっていて、サード・アルバム「Feelings」からはスティーヴ・バリー単独によるプロデュースとなる。作曲でスローンが関わったものも3曲にとどまり、バンドのメンバーの手によるオリジナルが多くを占めるようになる。演奏も自分たちでやっている、らしい。
サウンド面ではロック色を強めたという印象で、サイケなものやヘビーな味付けも目につきます。"Hot Bright Lights" なんて曲はバッファロー・スプリングフィールドだね。
また、アレンジャーとしてジミー・ハスケルが加わり、その管弦によって全体の厚み、スケールは増しています。
しかし、いかに工夫しようとも楽曲そのものがあまりぱっとしませんな。

1969年の「Lovin’ Things」になると音楽性ががらりと変わり、ホーン・セクションが入ったポップ・ソウルに。バンド・メンバーのオリジナル曲は2曲のみとなり、演奏も再びスタジオ・ミュージシャンが大活躍。バンド・サウンドに縛られなくなったことで、ジミー・ハスケルのアレンジもより効果をあげています。
そして、同年にこのアルバムの路線で作られたシングル "Midnight Confession" が大当たりして、グループは息を吹き返すわけですな。
なおP. F. スローンの曲を取り上げているのはこのアルバムで最後となり(3曲)、わたしの興味もここまでとなります。この辺りは個人的な好みなのでいかんとも。「Lovin’ Things」で一番好きなのもスローンの書いた繊細さのあるポップ・ソング、"I Can't Help But Wonder, Elisabeth" であります。


BGOはグラス・ルーツのダンヒルでの残りのマテリアルも出す予定で、そこにアルバム未収録のものもまとめてくれるそうなので興味のあるひとはどうぞ。わたしは昔買ったコンピレイションで十分かな。
ところで、この文章を書くためにちょっと調べたのだが、4枚のアルバムでもグループ名の表記が “GRASSROOTS” と “GRASS ROOTS” で一定しない。途中で変わったのかと思ったのだが、そうではなくて行ったり来たりで、アルバム・カバーとレーベル表記でも統一されていない。元々、誰も思い入れがない名前だったのかもしれないが。

2022-08-11

平石貴樹「立待岬の鷗が見ていた」


2020年発表の、『潮首岬に郭公の鳴く』に続いて函館を舞台にした長編。

『潮首岬~』が横溝正史の有名作を意識したような時代がかった、結構の大きなミステリであったのに対して、この作品は200ページちょっとです。
扱っているのは5年前に連続して起きたが互いに関連しているかはわからない3つの事件。それら事件の経緯を語るのに、それぞれ17~25ページほどしか割かれていません。
事件に続いて、その関係者のひとりである推理作家が書いた3作品の概要が説明されます。これが40ページくらい。ここでは実際の事件のヒントとなるものがあるような無いような。少なくともトリックをほのめかすようなものはないのです。
そうして、いよいよ前作でも活躍したフランス人の若者が登場するわけで。実地検分と簡単な聞き取りを行うともう、解決編です。

コンパクトだけど全体としては凄く手の込んだミステリなのですね。
事件の描写を抑えることで、(読者からすると)作中で語られるミステリ作品とのレベルの差がなくなって、事件と作品との結びつきが理解しやすくなっています。
それでも三つの事件の関連を見通し、全体像を再構築するのは難度が高いか。周到な犯罪計画と、それとはミステリとしての手筋が違う、いわゆるモダーン・ディテクティヴ・ストーリイが混じっているような。
怒涛の伏線回収で、説明されてみれば全ての引っ掛かりが取れてしまう、この部分は前作と変わらず気持ちがいいのだけれど。

問題編を全て回想の中に入れてしまったことで小説としては動きが全然ないのだが、ロジックはダイナミックに動いている、そんな作品でした。愉しかった。