2024-01-30
S・S・ヴァン・ダイン「グリーン家殺人事件」
6年ぶりくらいの新訳ヴァン・ダインであります。一作目『ベンスン殺人事件』と次の『カナリア殺人事件』の新訳の間にも5年ほどインターバルがあったので、これはもう、そういうものなのだろう。『グリーン家殺人事件』は1928年の作品なので、百周年までには間に合った。
以前にも書いたのだけれど、『グリーン家~』は戦前・戦後における我が国の探偵小説に非常な影響を与えた作品であるらしく、その大きさのあまり、さまざまなところで犯人の名前がばらされてきました。なので、わたしもこれまで読んでいませんでした。
ただ、都筑道夫がクイーンの『Yの悲劇』における『グリーン家~』の影響を語っていたこともあって、いつかは読んだほうがいいな、新しい翻訳で出たら読もうか、と長いこと思っていたのです。
で、ようは初読なのですが。
事件がひとつで終わらないだけあって、前二作と比べると展開が早いですね。貴族探偵ファイロ・ヴァンスが既に捜査陣と懇意になっていることもあってか、気障なところもあまり鼻につかなくなっています。
ともかく事件はテンポよく起こり、謎は積み重なっていく。
足跡まで残しているにもかかわらず、犯人の実在感が奇妙なくらい希薄であって、このことが異様な雰囲気や緊張感を生み出しているのではないか。
一方で、推理らしい推理はなかなか行われません。この事件は一筋縄ではいかないぞと唸ってばかり。読者からすれば辻褄の合わない事実は明らかであって、そのあたりをちゃんと捜査・検討してくれよと思わずにはいられません。はったりで引っ張るにはこの作品は長すぎるのだ。今の目からすると、ちょっと締りが無いように感じてしまいます。
四度も殺人が起こったのち、終盤近くになって、それまでの無策ぶりを取り返すかのようにファイロ・ヴァンスは活躍を始めます。特に、犯人逮捕の流れは見所で、今となってはお約束の展開なのだけれど、そこまでのまったりとした進行との対比もあって、なかなか迫力があります。
最後にヴァンスによって絵解きがなされるわけですが、改めて見直される事件全体のスケール、その大きさは当時としては画期的であったでしょう。また、犯人の構想を支えている趣向は今見ても独特であります。
もっとも、推理という点では相変わらず大したことがないのだな。トリックのいくつかに関してはろくに伏線もないまま、ただ明かされるだけだし。
とはいえ、本格ミステリでしかありえないテイストが充満していて、古典だよなあ、という満足がありました。
2023-12-20
平石貴樹「スノーバウンド@札幌連続殺人」
誘拐とその後に起こった殺人事件、その過程が関係者たちによって不規則なリレー式に書き継がれる。
はじめは誘拐犯が殺され、その殺人犯を探すという話なのだが、背景にある暴力教師や宗教団体が絡みだして、事件の様態がどんどん変わっていく。
十代の若者たちによって内輪向けに書かれた部分が多く、ときにそれらは唐突に途切れて次の書き手へと渡される。それによって不自然さをある程度カモフラージュしているようである。それでも流れの中で明らかに浮いている箇所があって、何か隠されているのか、あるいは誤導なのか。
誘拐事件に関して、ある可能性に思い至るのは難しくないだろう。うまくいけば、そこから芋づる式に他の事件の真相も見えてくるかも。
実際、個々の手掛かりはかなり分かりやすい形で転がされているのだ。ただ、全体像を描くには心理的な難度が高い。裏付けもちゃんと書き込まれているのだが、それでも想像力が要求されることは間違いない。
また、推理困難な手の込んだトリックも一つあるのだけれど、わざわざそんなものを使わざるを得なかった動機もうまく説明されているので、不満にはならないですね。
何気にアイディアてんこ盛りであり、フェア(だと思います、これは)でガチガチの謎解き小説でした。
2023-12-17
はっぴいえんど / はっぴいえんど (eponymous title)
近年は加齢及び長年の酷使のせいで聴力が衰えてきております。旧譜を新しいマスタリングで出し直されても、元となるマスターテープが同じだとそんなに大きな変化を感じない場合が多くなりました。これブラインド・テストだとわかんないかな、という。実際には波形が前のと一緒じゃん、という詐欺に近いような製品もあるのですが、それは置いといて。
まあ、リマスターに対して食指が動きにくくはなっているのですよ。
はっぴいえんどの新規盤なんですけどお。これも、もういいかな、お値段もするし。でも「風街ろまん」のマスターテープはオリジナル・アナログから最近までに使われていたものより世代がひとつ若いものになっているというじゃあーりませんか。
などと迷った末、結局三タイトルとも入手しました。とはいっても音質の向上を一番期待していたのは「風街~」ではなく1970年に出た一枚目、通称ゆでめん、なのです。
4トラックでのレコーディングのせいか、もしくは当時の我が国の録音技術の限界か、はっぴいえんどのファースト・アルバムは音が瘦せているという印象です。同時代のアメリカのバンドのようなサウンドを目指し、エンジニアにレコードを聴かせて、こんな風にしたいんだとミーティングを行ったはずが、できたのは日本的な湿り気というか抜けの悪さ、寒々しい音で、何がバッファロー・スプリングフィールドだよ、という。曲自体は凄く良いのにね。
次作の「風街ろまん」ではその問題が嘘のように解決されていることもあって、なんとかならないかしら、と思っていたのですよ。
初回限定盤のブックレットは資料として充実したもの |
で、新しいのを聴いてみたんですが。結論からいうと改善はされています。湿度を感じさせる音のキャラクターそのものはもちろん変わりませんが、ちゃんと迫力のある、バンドとしてのエネルギーが伝わってくるものになっています。
技術の進歩とはえらいものだな、と阿呆みたいな感想をもってしまいました。
「風街ろまん」はスマートなんだけれど、このデビュー盤のほうが濃いというか、引っかかる部分が多いのね。それで繰り返して聴いちゃう。
2023-12-09
横溝正史「犬神家の一族」
すべてが偶然であった。なにもかもが偶然の集積であった。しかし、その偶然をたくみに筬にかけて、ひとつの筋を織りあげていくには、なみなみならぬ知恵がいる。
1951年の金田一耕助もの長編。
莫大な遺産に異様な遺言状。お互いに憎しみあう一族。当然のように殺人事件が起こります。
犬神家の来歴に関する説明がそれほど長くならず、すぐに本題に入ってくれるのはいいですな。
耕助が事件に巻き込まれるまでの呼吸は偉大なるワンパターンといった感じ。おお、またこれか、というね。そしていきなり、もっとも怪しくなさそうな人物を疑うあたり、推理小説として力がこもっているように思います。
この作品の肝は戦争で顔に負傷をした、復員兵であるところの佐清の設定ですかね。短編「車井戸はなぜ軋る」を思わせもしますが、顔のない死体の趣向を生きた人物でやってしまう、というのは大いなる創意でしょう。
また、派手な見立て殺人があるのだけれど、おどろおどろしい作品世界においては一種の様式美ですな。見立てをすることに必然性があればいいし、無ければそれでもかまわない。その点、この作品は見立ての動機に独特のところがあって、これが横溝正史のセンスなのでしょうね。
使われているトリックのうち一番大きなものは現代の読者なら見当がつくでしょう。
一方、事件全体の構成は伏線こそたくさん張られているけれど、若干都合が良すぎるかと。時代がかった装飾とはうらはらに、内実は所謂モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ。ただ、そのおかげで謎解きとしては意外なくらいにすっきりと収めることが可能になったのだと思います。
もっともこの作品の魅力は印象的な場面の数々にあり、なるほど何度も映像化されるわけよね。また、相当に複雑であったはずの人間関係をわかりやすく読ませてしまうのも大したものです。
2023-11-23
アンソニー・ホロヴィッツ「ナイフをひねれば」
英国では昨年に発表された探偵ホーソーンものの第四作。
今作ではホロヴィッツがホーソーンに、もう新たにお前が主人公の小説は書かない、と訣別を告げる。しかし、その後にホロヴィッツは殺人事件の容疑者として逮捕され、頼れるのはあいつしかいない、となる。
今更に気付いたのですが、作内のホロヴィッツはホーソーンより一回り以上、年長なのですね。ホーソーンから相棒、なんて呼ばれているから、同じくらいの年代と勘違いしていました。
これまでも作者アンソニー・ホロヴィッツの仕事上のキャリアが、そのまま作品内のホロヴィッツのものとされてきたのだが、今回はそれが効果的に使われている。それで、ホロヴィッツが事件に巻き込まれるまでの流れがとてもうまく書かれているように思います。
ホーソーンが捜査に取り掛かった序盤は関係者への聞き取りの繰り返しなのですが、作内ホロヴィッツに強い容疑がかけられているためか、かなりテンポよく展開していきます。
そして全体の半ばを過ぎたあたりで、事件の起こったロンドンを離れ、被害者の過去を掘り起こすパートに。ここがとてもよいです。どちらかというと私立探偵小説的な面白さなのですが、意外な事実が次々と明らかになっていく迫力が素晴らしく、ホーソーンも恰好いい。
解決編に入るとホーソーンが真正面から名探偵役を演じてくれます。少し芝居がかっているほどに。そして、その真相はとてもシンプルかつフェアで、クリスティ味を今までで一番強く感じました。特にダブル・ミーニング、言葉だけでなく行動のダブル・ミーニングは意表を突くものです。また、ドラマとの食い合わせもとてもうまくいっている。
前作が謎解きにやや雑なところがあって、このシリーズは落ちてきたかなと思ったのだけれど、今回はしっかりと組み立てられていると思います。面白かった。
2023-10-28
梶龍雄「龍神池の小さな死体」
1979年長編。作品内の時代はさらに11年さかのぼります。
大学教授の仲城智一は23年前の戦時中に、幼い弟を疎開先の事故で亡くしていた。だが現在になり、病気で死を迎えようとした母親は智一に、お前の弟は殺されたのだ、と言ったのだった。
遠い過去に起きた事故が実は犯罪によるものだったのでは、という謎はクリスティっぽい。
また、事故に関わる一族は既に絶えていて、その屋敷も残っていない、というのはさすがに横溝正史の時代とは違う、という感じはします。
本筋の謎とは別に、最近のひき逃げ事件もあって、これがどう関係してくるのか。
智一は事件当時のことを知っていそうな人々に話を聞いてまわるわけなのだが、はじめは展開がゆったりしていて、なかなか調査も進まない。雰囲気ものんびりしたものだ。そのうちに自身も事件に巻き込まれ、物語に緊張感が生まれる。この辺りは定番の流れ。
中盤当たりまで来て素人探偵が登場。ここから俄然面白くなってくる。それまでの状況を整理し、隠れていた作為を明らかにするわけだが、それによってミステリとしての焦点がぐいっ、とズレる。これが素晴らしいです。思っていたのとは別のものをずっと読まされていたのかという感じ。気になるような伏線も充分あったので、一層効果が挙がっています。1979年にこれをやっていた、というのは驚きました。
最終章直前にはすべての手掛かりは出ている、と読者への挑戦めいたやりとりもあり。これもしびれます。
真相はあるモチーフを執拗に繰り返す、とても大胆なものだ。それまで事件自体は地味なものと映っていたのだけれど、解答編へ来てド派手な真の姿を明らかにする。
犯人の行動やトリックの中には明らかに不自然なものがあるし、推理にも根拠の薄い、単なる想像の部分があるのは否めないのだが、大量の伏線回収によってそれらを押し切ってしまう。
なお物語としての結末はなかなか惨く、読後感は良くないです。これが昭和だ。
トリックとプロット、双方が相当に複雑に絡み合った力作かと。
2023-10-15
ジャニス・ハレット「ポピーのためにできること」
司法弁護士タナーからふたりの実務修習生、フェミとシャーロットに資料を提供するので、それを読んで考察を行うようにという課題が出される。彼らに預けられたのは時系列に整理された、メールやメッセージ、新聞記事などからなる膨大なものだった。
果たして何についてのテキストかわからないまま(読者とともに)それらを読み進めていくうち、現代イギリスの田舎のコミュニティ、その様態が徐々に明らかになっていく。だれが力をもっていて、だれが(陰で)疎まれているか。さらに、あるゴタゴタによって、それまで明らかにされていなかった個々の問題や、隠し事の存在が浮かび上がる。
2021年にイギリスで発表された長編。文庫で700ページくらいあります。
流れをつかむまでがなかなかに大変。登場人物が多い上に、ほとんどがメールのやりとりからなり、地の文がないため省略が効いていないし、どこへ向かう物語なのかが見えてこない。とにかく水面下でトラブルの種が着実に成長しているのはわかる。全体の半分くらいからようやく展開が早くなって、一気に読みやすくなりますが。
一方、ところどころでフェミとシャーロットの間で行われたメッセージのやりとりが差しはさまれ、疑問点や推察などが挙げられていく。これによってミステリとしてのテンションが維持されてはいます。あと、好感のもてる人物が皆無なので、このパートがくるとほっとするな。
読んでいる途中で気がつくのは、ほとんど登場人物全員によるメール文が記載されているのに、ある中心人物によるものがまるまる欠落している、ということだ。古典的なミステリ、というかクリスティなら、この人物像そのものがメインの謎になってきそうだが。あるいはこの欠落している、という事実そのものに意味があるのか。
また、三人称の描写がないことより、文章からは読み取れないが当然となっている前提を想定することもできますが(たとえば人種の別とか)、さて。
作品の3分の2くらいのところで、タナー弁護士からのメモが挿入され、唐突に被害者の名が示され、その謎を解くようにという指示が。以下、50ページほどでフェミとシャーロットに与えられた資料はひとまず終わる。問題編はここまで、ということか。
これ以降はふたりによる推理のディスカッションが展開される。直接証拠がなく、主に動機に基づいたものなので、仮説はいくつも立てられる。伏線の妙や意外な盲点への気付きなどが満載で、非常に楽しいです。ただし最終的に導かれるのはこうであれば成立する、という解のようなものであり、あまり厳密なロジックとはいえません。
もっといえば、タナーにとっての真相に誘導されている感さえします。
思い返してみれば事件そのものは凄く地味で、それにしては長すぎるよね。一方で、この形式でしかできないミステリとしての創意は十分に効果を上げているかと。
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